「Noise messenger[3]」3-5:3 |
* マケドニアの西では解放軍の支配下地域が広がり、諸侯の傾きは以前より早い速度でミネルバ寄りになりつつあった。 西の地上路がほぼ分断されているので、あとは東をいかに押さえ、突破するかにかかっていた。 が、十一月に入ろうかという時になって、東の戦線を守っていたマケドニア側の軍勢が一斉に撤退し、王都への道を無防備に空けてきたのである。 これは、マケドニア国王ミシェイルが用意した決戦となる舞台への花道であった。 (Noise messenger [3] end) |