「Noise messenger[6]」 6-2-4 |
* 画家、か。 どうしてそんな所に落ち着いたのかな。 神々と並び立つには、あまりにも小さいと思うのだけど。 君の存在は、その程度で十分と思ったのかもしれないね。 王城で見た夢の最後に聞いた、含み笑いの声に似ていると感じながらも、それよりももっと遠いところのものだと感じられた。 十分なわけがない。そういうものじゃ、ないだろう。 もがきながら頭の中で言葉を紡ぐと、古いものを伴う 『名前は、もう決めてあるわ』 快活そうな女の声。 『…………っていうのよ』 『それは……随分変わった名ではないか?』 意外そうな、しかしその中にも思慮を窺える男の声。 『この名前じゃ、いけない?』 『いや、わざわざその名前を出すくらいだ。理由があるのだろう』 『ふふ、絵がね、好きなのよ。太陽の絵。 あれを見た時、なんか幸せな気分になったの。生きていくのは苦しいけど、そこもわかってくれた上で、太陽はいつも昇っているなぁって。描いたひとは酔っ払いみたいに言われちゃってるけど、ちゃんと見ていたんじゃないかなって思ったのよ』 ああ、そうか。青年は理解する。 今になってやっとわかった。 太陽の絵が王都の屋敷にかけてあったのは、そういうことだったんだ。 親父は、おれや妹よりもお袋の方が好きだったんかもな。まったく。 ……だから、おれがお袋の子供だから、親父はおれがこんなんでも、死に物狂いの親子喧嘩に付き合ったんだ。 先に逝って、お袋を見つけ出せたらからかうかねぇ。 ぼんやりとそんな事を考えているうちに、彼に近づいてくる気配があった。 それは快活そうな、どこかで見た女性の形を持っていた。 あ〜こんな風になったんだ。あんなに小さかったのにねぇ。 美形っていうのとはちょっと違うけど、好きだよ、うん。芯もあるしね。 ……よく、あたしのことで引きずらないでいてくれたよね。そこを履き違えられたらどうしようって思ってたんだけど、ほっとした。死ぬ時が来るのは仕方ないことだからね。 ――でも、君はまだ来ちゃいけない。 自分で全てが閉じていないとわかっているんだからね。 一方的にまくし立てられ、何も言い返す間を与えずに、女性は脳裏から去っていった。 代わって、豪快に笑う人物の声が聞こえてきた。 俺だけが良ければいいだと? はは、その通りだ。 それでいて、俺に危害を加えない奴が幸せならもっと良さそうな気がするね。 豪放磊落を絵に描いたようなこの声の正体は、なんとなくわかった気がした。 ……やっぱり、そんなに似てないだろう。 内心で首を傾げていると、またあの遠い声が響いてきた。 だが、並び立てる者であることには変わりない。 我らの領域に抗しきれるのも、資格のひとつやもしれぬ。 振り幅の大きい、器。 それでもこう言い伝えられるだろう。 汝の名は――「普遍」。 * 意思を表すことはできず、力尽きようとしたその間際、その全てをかけて、山肌に、大地に、爪を立てていた。その力が失われない限りはまだ、この生はあると言わんとばかりに。 その思いに応えようとするかのように、光を拒む黒い障壁はマチスを中心として伏せた椀の形を取って少しずつ広がり始める。 彼の手が求める声に応える――もとい、引っ張り出されたのは、山と、大地の息づく音。即ち、植物を育む力。 その力場を後押しするように、思考空間の中でもう一度言葉が響いた。 ( 「土」の属する宮) 「…」 「…」 「…」 「…」 「…」 「…」 マチスが前後不覚に陥る中、正体のわからぬものが一語、また一語と紡ぎだされる。 死に踏み込みながら、反射的に生に留まろうと、少なくとも生を証明しようという矛盾を孕むその手に黒い光が宿り、体全体を包み込んで護ろうとする。 逆に、彼を中心とした地面や山肌の色が暗く霞んでゆく。 大きさの比較では全く相手にならないはずなのに、資格のないものを地に縛っていた圧力は消えつつある。 これらの恩恵を最も得られたのは黒い光の発生源であるマチスの隣にいたナバールだった。 彼もまた光の圧力の前に地に沈んでいたが、マチスの出していた黒い光がナバールの体に届くと、その瞬間に負荷は嘘のように消えてしまったのだ。 どういうことかと起き上がってみるが、ナバールを復活に至らせた力をくれたはずのマチスはまだ苦しそうに光の圧力と戦っている。 「これは、どういう……」 「儂も、わからぬ。ここまでになってしまうと……」 呟いた老人は、ナバールの顔を見るなり、おやと首を傾げた。 「どうした?」 「いや、お主の相がな……」 言って、すかさず盤を取り出し、ナバールを透かし見る。 「やっぱりそうじゃ。係数が変わって――満たしてもうた。もしや、この黒い光のせいかもしれんが……この光に耐えられるようになってしまったようじゃ」 「……ならば、先に行った男を追えるのだな?」 「可能は可能だが……あ!」 答えを聞くやナバールは光へ身を投げ、制止の意味を持った叫びを聞き届けることなくその姿を消した。 それと同時に、光はあっという間に収縮してしまう。 「これはこれは……まさか、全てを飲み込まずに終わらせてしまうとは。これは思わぬことになったのぅ……」 と、黒い結界を保つマチスを見やる。力場の発生に精一杯で、光が消えたのにも気付いていないのだろう。 「のぅ、もう止まっても良いのではないかな……」 老人が声をかけるが、この声にすら気がつく様子はない。 それどころか、無理矢理にでも大地の力を吸う行いは止まりそうもなかった。 このままでは、この一帯が青年ひとりのために枯れ果て、長いこと不毛の地になるかもしれなかった。 「何ということぞ……!」 今度は別の意味でこの青年を誅殺せねばならないかと老人が覚悟した時、転移の気配と共に現れた人影があった。 白髯と、角ばった赤を基調とした司祭服の主・大賢者ガトーは長い彼の生涯と知識において有り得ないものを前にして、強く呻いた。 「異変を感じて来てみれば、土の精霊に直接干渉して力を得るなど……。こんな力は聞いたことがない……。 だが、力を制御できぬままでは、大地もこの者も、いずれ生命を止めてしまうだろう。……仕方ない」 ガトーは他のことを目に入れる余裕はないようで、老人に何かを問いかけることはなかった。ひたすらに、黒い光の解除に集中力を注ぐ。 未知の力を前にも方策を見失わなかったのはさすがにこの肩書きをもつ人物らしく、魔力の中和をもって黒い光を消し去ってしまった。 と、力を生み出せなくなったマチスの体は最後の支え手を失って、完全に倒れこんでしまった。おそらくは意識もないだろう。 「あまりにも危険だが……引き取る他なかろうな」 疲れた様子でひとりごちた後に、ガトーはまた転移のような力でマチスと共にそこから姿を消してしまった。 最後に残された老人は、恒例とは違って中途半端に崩れた『入口』の祠を唸りながら見回した。 「また、長いことかけてかけて作るかの……」 足元にある異様なヒトの爪跡を残すかどうか、それがちょっとした悩みの種になりそうだった。 |