「Noise messenger[6]」 6-2-3 |
後は剣を持ち上げて因縁を断ち切るのみ――と意を決したその瞬間、この場にそぐわない、派手な水音がした。 岩壁の方向から聞こえた気がしてそちらを見ると、高く聳えていたはずの白い岩壁は一部分で上半分がぽっかりとなくなっていた。 「なんで、こんな事に……」 「係数じゃよ。満ちたのじゃ」 白ローブの老人が厳しい顔つきで岩壁を見上げる。 足下のミシェイルが横たわったまま快哉を叫ぶ。 「開いたのか!? ならば老人、俺を連れて行け!」 「それは構わぬ、構わぬが……」 話すうちにも、岩壁は次々と前方に向かって落ちていき、消失を続けている。 老人はマチス達に向き直った。 「済まん、今からではもう間に合わぬ。そなたらは、無理だ」 「無理って、何が……」 「元より素質を持ち、この世界に自らの見切りをつけたこの男は儂らの世界でも耐えられる。だが、そなたらにはそれがない。素質の変異はそうそう起こるものではないからの……。 楽に死ぬには、そなたらが自らの剣で命を断つしかない。そうでなければ、あちらの世界に入った途端に四肢を裂かれて滅ぶことになろう」 見れば、岩壁を中心とした広い円の外側がひどく揺らぎ始めている。 あれが老人の言う『間に合わない』理由なのだろう。 「こんなことってありかよ……!?」 「まさか追ってきた俺達の方が滅びるとはな……竜が近くに棲まう国とは、ここまでのものだったか」 ナバールの嘆息に、老人は首を振りながら答える。 「竜程度のものではないぞ。もっと それが何者か、あまりわかりたくない話である。 「竜より上なんて言ったら……」 言いながらも力が奪われていく感覚があるのは、気持ちで負け始めている証拠だった。 これまで竜の支配を拒むために解放軍が戦ってきたのに、それ以上の存在がこの大陸に関わろうとしているとなれば、もう手に負えないのではないか。 もう、人が、竜が、どうだと言っている場合ではない。 守りたいと思ったものが守れなくなる。 あまりにも強い力は、そう思わせるに十分すぎた。 「――なんで」 呆然としつつある中で発した言葉は、か細いものになった。 「あんた達は、ここに関わってきたんだ?」 「滅びるものを救いたいと思い立った方々の為す事じゃよ。あの方々の名を冠した者はそれだけで強い力を持つ。むしろ、人に肩入れしていると言って良かろう。ただ、お主達は不幸にも、この者の係数を叶える用を為しただけでな。 だからこの世界に関しては心配せずに、自分達の決断をせよと言うておる」 そう言ってくれるが、たった二択、それもどちらも生還を諦めろというのでる。 「そんなもんでき――ッ!」 反論は途中で地面に叩きつけられることで中断せざるを得なくなった。 最後に残っていた目の前の岩壁が前方の何かに向かって崩れ去り、様々な色に輝く空間が姿を現したのだ。 見た目はきれいと言える部類だが、あれに飲み込まれた瞬間が最期とあっては、そんな感情は抱けなかった。 光の空間が徐々に広がり、こちらに近づいてくる。 老人が横たわるミシェイルの傍につく。 「もうお主は這っていくことくらいならできるはずじゃ。儂の案内なぞなくとも、問題はない」 「……本当か」 「痛みが薄れておるはずじゃろう。適応の証拠じゃ」 老人に言われ、確かにとミシェイルは頷いた。 かつてマケドニアの王位についた男は、今はただ光の空間だけに視線を注いでいた。 「神々、か。俺が挑むには相応しいというものだ」 適応というものが急激に進んだのか、這い始めた身はやがて四つん這いに近いものになり、光そのものに触れる時には半ば立ち上がりかけていた。 やつれてはいたが、その背は強き者として目を惹きつける気迫に溢れていた。――その姿を残る者の目に焼きつけ、ミシェイルは光の中へ消えていった。 それを確かに目撃していたマチスはしかし、対照的に地へと縫い付けられ、体全体も地面にめり込み始めていた。 全く動けないためナバールの姿は見えないが、状態としては大差ないだろう。老人が右へ左へと目を配るのは、気がかりなのがふたり分だからだ。 「儂がもっと注意しておれば、係数がわかったと同時に逃げ出せたのじゃ。 ……手は汚したくないが、儂の手で楽にしてやるしかないかの」 事前に聞いた事が本当であれば、一思いに……というのが一番楽なのだろう。 どうせ助からないのであれば、その方がいいのか――。 と、光の浸食が急激に進み、瞬く間に三人の元まで迫ってきた。 老人が破れかぶれに何かの所作をして短い雷の槍のようなのを出すのが見えた。 が、それから間もなく光がマチスの所に到達する。 別れを告げるべき相手を思い出そうとしたが、ひとつに絞り切れないと思ったのか、何も浮かんでこなかった。 代わりに思ったのは、とうとう死ぬのか、ということだった。 戦場に出るようになってから何度となくし続けた覚悟は、ここに来て本当に求められることになった。 戦の苦手な自分につくことになった人達の中で、何人も、何十人も、あるいは百を越す人々が、マケドニアに戻れなかった。 その人達に詫びるのが死んでから最初にやる事になりそうだ、と。 頭の中で生を諦めた。だが、思考から自由になった十の手の指は地面に爪を立てながら、最後の最後まで足掻こうとしていた。 そして、自らの未来を、文字通りこじ開けた。 土の一の 万物の可能性を開くと共に、緑に縁深き マチスの体に光が触れた瞬間、そこで反発するように地面に食い込む彼の指から黒い障壁のようなものが発生し、光を阻み始めた。 それと同時に円で囲まれた空間全体が不安定に揺らいでいく。 「お主、何を――」 老人が呼びかけるが、マチス自身は現の声が聞こえはしても、それが現実のようには思えず、別のものの干渉と戦っていた。 |