「Noise messenger[6]」 6-2-2 |
「こんなとこで出くわしたか……」 マチスはそう言いつつも、言葉の表面の意味ほどには衝撃を受けていない。それ以上の脅威について話をしていたせいもあるだろう。 いざ対面したらどうするか、事前段階ではその気持ちの整理はついていなかったが、その答えは自然に湧き上がってきたマチス自身の感情の内にあった。 この男は―― 妹の命運に関わり、ついでのようにおれを「廃棄」し、 ……国を守りきれなかった。 あぁ、それだけじゃあない。 あの夢の中で、おれは何度も妹を殺そうとした。 それどころか、城では本当に父親を殺そうとした。 おれもまたそういう奴だったと、わからせてしまったのが、 ――この男だ。 腰の剣の存在をはっきりと意識しながらも手はかけずに、マチスはミシェイルを見返した。 「おれは、どうすれば係数なんてのが動くかわからないけど、 強調した言葉は、はっきりとミシェイルを刺激した。 「赤毛持つマケドニア人であるにもかかわらず、俺をそのように呼ぶか」 「王の資格なんか、あんたにはないのさ。王族なんて元々好きじゃないけど、上に立つ人間がそれなりの資格が要るのは変わらない」 ミシェイルが皮肉げに笑みを見せる。 「お前も、俺が父王を殺した事を非難する清廉の徒というわけか」 「いいや」 マチスはすぐさま切り返した。 「あんたは、強い自分と信頼する竜騎士団があれば、ドルーアの側についてやっていけると踏んだ。今だからわかるけど、あの時点でドルーアと組まなければマケドニアは滅んでいてもおかしくなかった。 でも、あんたは王子でしかない。だから、解放軍にやられちまった」 「役立たずの絵描きが、よく言うものだな。ミネルバに先んじて、俺の国を見限るだけのことはある」 「なんだ、おれが誰だかわかっちまったんだ」 「後にも先にもそこまで俺を貶められる愚か者はいない。その根拠など理解できるはずもないが」 「おれが気にくわないのは、あんたのやり方だよ。前の王を殺したことじゃなくて、強くない奴の事を軽く扱った。 あんたは自分が強いと知っているから、弱い奴に価値をつけない。強くなりそうな奴だけ強くすればいい。そうやってマケドニアを一気に大きくした。 だけど、そのせいで置いていかれた人間が大勢いる。結局、おれもあんたの命令で戦場に突き出されて、アリティアに負けた」 「……俺を嫌っている割には、最後まで戦ったというわけか」 「アリティアに伝手なんかなかったからな。たまたまレナがいたから、手前の名前を出してあんたに楯突いたけど、そうじゃなかったら多分、そこまでのことはしなかった。口で言う割に大したことないってのは、わかってんのさ。 でも、マケドニアに戻ってきて、どうしてかこんな好機ができた」 本来ならば、この男を相手取るのはミネルバだったはずであり、パオラが割り込んだのは相当に無理矢理な手だった。つまりは、ミシェイルと対峙するのはそれほどの実力者の仕事だ――とマチスは考えていた。だから、ここに来る山道ではミシェイルに対して、自分の手で倒したい相手ではないと思った。 が、こうして場が整ってしまえば話は変わってくる。 自らの名を明かしてマケドニアに逆らい、ろくに戦えなかった身から転戦を重ねて少数派の立場から祖国への帰還を果たした。 相変わらず「強き者」ではない。少なくとも、手にする得物が銀の細工を彩られることはついになかった。 だが。だからこそ。 『持たざる者』として挑む。 マチスはごく自然に剣の柄を握り、無心のままゆっくりと刃を抜き放った。 「あんたは疲労困憊だから悪いとは思うけど、これくらいじゃないとおれなんかじゃ勝負にならないんでね」 「……へらず口が、よく言う。貴様はそこらの勇士よりよほど だが、王たる者がそれを否定され続けるのは、遺憾でしかない」 ミシェイルも携えていた細い剣を抜き払う。 「そもそも、ここの秘密を知ったからには俺が係数とやらを発動させねばならん。貴様などに斃れされている場合ではない」 「ここがおれを招いたのかもしれないけど、そのおれはあんたに剣を向けることを選んだ」 ――眠らせておけばよかったんだよ。彼の中の何かが、ミシェイルに向かってそう付け加えた気がした。 マチスとミシェイルは自らの外套を脱ぎ払って、それぞれに剣を構える。 マチスの持つ鋼の剣では、どうしても一撃の重さで対応するしかない。対するミシェイルの持つ剣は、かつてマルスが使っていた その読みの通りに、ミシェイルが先手をかけてくる。 これまで見てきた解放軍の歴戦の人間に及ばないのは山中で七日間も逃亡を続けていたためだったが、マチスから見れば敵として十分に速い。 仮借なく胴を薙いでくるのを鋼の剣で止めるが、すぐに次の動きが胸元を狙ってきた。 突くのではなく、下から上に――最終的には肩に刃先が到達する軌道である。 ミシェイルほどではないが、マチスもまた万全ではない。左肩をほんのわずかに敵の刃がかすめて、灼熱のような痛みが走った。 そうしながらもマチスが踏み込もうとすると、ミシェイルはすぐさま間合いを離れていってしまった。 「あれで、衰弱してるってのかよ……」 これでも戦えている部類だとわかっていても、思わずこぼさずにはいられなかった。体力がずっと続けば、有利なのはミシェイルの方である。そうでなくとも、隙を突かれたら一瞬で左胸や首を狙われて終わりである。常の戦場と違って、どちらも鎧や防具らしいものは全くないのだ。 次はマチスの方から接近して斬りかかる――と、ミシェイルは当然のようにそれを躱して素早く左肩を狙って斬撃を放った。 そこへ、マチスは躱された体勢から強引に体を捻って鋼の剣を後方に振り払った。 質量の重い風を引き連れた奇策の一撃はミシェイルには当たらなかったものの、不意を突いて追撃の一手を出させない――つまりは、ミシェイルの持つ攻撃のペースを崩すことに成功したのである。 無理な体勢を取ったため、マチスの側もすぐに次の行動に移れない欠点(デメリット)は生じたが、何をしでかすかわからないという印象を持たせられればしめたものだった。 退いたミシェイルが短く吐き捨てる。 「酷い『騎士』もいたものだ」 マチスはそれに応じることはなかったが、元より否定するつもりはなかった。 ただでさえ、騎馬騎士団は竜騎士優位のマケドニアで肩身が狭かった。そこへ、まともに騎士をやろうとしない人間が入ってきたのである。 古株の騎馬騎士達のように団長のオーダインをきちんと見上げていれば話は違っていただろうが、そうでない人間が騎馬騎士団を中から見つめて、優秀でない自分を自覚しながら伸び上がっていったら、こうなったのである。 伸びやかに屈折するという矛盾。それを容れるのもまた、マチスという器だった。 先ほどの奇襲反撃を打ち消そうとするかのように、ミシェイルが再び先手をかけて強く踏み込み、一撃を受け止めようと身構えるマチスの手前でふっと一瞬退いたのを、うっかり反応して前に出てしまった。 と、そこへ細かい刺突の一撃が何度も繰り広げられる。 目など致命傷になる場所にさえ当たらなければ、この攻撃自体は一回一回が非常に軽いため、単に多少痛いだけで済む。刃に毒があれば話は別だが、今回はその心配はない。 このミシェイルの攻撃でマチスは手や腕に幾つも傷を作ったが、目や喉を突かれることなく凌ぎきることができた。 ミシェイルが細かい芸をわざわざ披露してきたのは、こういう事もできるという示威行動なのだろう。加えて、一方的に攻撃を受ければ精神的な面で負荷が増す。嫌らしい攻撃だった。 ああ見えて、見かけよりも体力があったのだとしたら、不利な長期戦に持ち込まれる公算が大きい。決着はできるだけ早くつけるべきだった。 マチスは相当の賭けを自覚しつつ次の駆け引きを脳裏に巡らし、再び自分から斬りかかった。 打撃を与えようという一撃が外れるのを折り込み済みにして、構えの流れで生じたような形で左肩をがら空きにして――間に合わないくらいの時機で躱そうとする動作も込みにしつつ――ミシェイルの刃が確実に捉えて来ようとするのを待ち受けた。 狙い通りにミシェイルはマチスの隙を捉えにかかり、退こうとする左肩へ切り裂くように一撃を放った。 あらかじめこの攻撃を受けると決めていたため、意図しない時よりも体勢は崩れなかった。 マチスの左肩へ、まともにミシェイルの刃がかかる。しかも――深く。 刃そのものはあまり間を置かずに通り過ぎ、抜いた時の軌道へ沿うように血飛沫が高く飛び散る。距離こそ届かなかったが、それはちょうど画布を連想させた岩壁にかかっていくような格好になった。 ――自分の血で絵を描くなんて、洒落にしてはキツすぎる! 激しい痛みと血を失う衝撃を苦し紛れに押さえ込みながら、マチスは無事な右腕を、逃れるミシェイルに向かって大きく振り抜いた。 片腕で扱うには常の膂力が並外れている必要のある剣であり、普段ならば絶対に一撃を与えるに至る速度を出せるはずがない。 それを埋め合わせる方法として、受け止めた体勢がミシェイルの動きを緩め、そこへ追いつくと期待するしかなかった。左肩から先を捨てたマチスは、この機を逃せば敗北必定だったのである。 しかし、ここに来て本人の計算外の力が働いた。 特殊な力でも何でもなく、マチスは窮地の人間が土壇場で発揮する限界の突破をもって、右腕だけで鋼の剣をミシェイルに追いつかせ、胴体に叩きつけたのである。 真っ向から命中させたわけではないが、痩せさらばえた体が鋼鉄をぶつけられた衝撃で壊れる音は、はっきりと聞こえた。疲弊し、衰弱したミシェイルの体が一撃に耐え切れなかったのである。あれだけ骨が折れてしまえば、内臓も傷ついていると判断していいはずだった。 あそこまで傷を負わせてしまえば、あとはこちらが立って終わらせるだけである――が、マチスもまた苦しい立場だった。 相手を再起不能近くにまで追い込んだはいいが、型も何もない攻撃だったため、その後の流れでよりにもよって右肩から地面に激突し、意識したくもない重傷の左肩を抱えて倒れ伏す羽目になっている。 だが、それでも立ち上がって終わらせなければ、もうこの時は来ない。 マチスはもう片方よりはマシな右肩の具合を確かめながら、左腕以外を駆使し、最後には剣を杖代わりにして立ち上がった。 数歩先で倒れているミシェイルは、意識があるものの、激しい痛みに悶絶し続けている。近づこうとしているマチスには気付いていない様子だった。 体を引きずって一歩を詰めようとすると、白い頭巾とローブの老人がマチスの視界に入った。この戦闘に際して、逃げ去ったのではないらしい。 「まさか、止めねぇよな……?」 「それは、それじゃ。お主らのする事に構う理由はない」 だったらどうしてこんな事を見届けようとしているのかが気になったが、それ以上余計に言葉を発する余裕はなかった。 これが今までであったら、止めを刺すことに自分の中の何かが制止していそうなものだったが、今回はそれがない。 戦など、好きになれるものではない。だが、いざとなったらそんなものを投げ捨てて戦う自分がいる。 いいだろう、受け入れてやろうじゃねぇか。 果たして生来の『お人好し』と同居できるかどうかはわからないが、自分と、自分についてきてくれた人達をそちら側に招き入れた マチスは重い自分の体を引きずって、ようやくミシェイルを見下ろすところまでたどり着いた。 足下から、未だ切り込むほどの鋭い視線が見上げてくる。 「ここで、マケドニアが、終わるか……。こんな形、で」 「あんたは、勝手に死んでたことにするよ。どうしたって、王女には顔を合わせづらいしな」 親しくしない予定だったミネルバにはどうしてか気を遣われ、マリアに至っては知らない人間のフリをすればふくれ面をされるのが目に見える――そんな間柄になってしまっている。 気丈に戦っていたふたりだが、ミシェイルが墜落してから血眼になって必死に行方を追っていたという節はない。政敵でなくなったのだとしたら、これ以上は追い詰めたくないというのが本音なのかもしれなかった。 「だから、これはおれの私怨だよ」 杖代わりにしていた剣を地面から抜き、振り上げようとする。 しかし、右腕だけで鋼の剣は持ち上がらない。 「…………」 「…………」 「こんな時に、なってまで、焦らすとは、悪趣味だな」 「別にそうしたくて、やってんじゃねぇよ……」 これが戦嫌いの限界と言われればその通りだが、これほど締めの決まらない話もない。 どうやったら渾身の力を込めて、最後の一撃となるのか。 数度深呼吸をしても一向に力の湧いてこない現状では、その見込みに疑問符がついてしまう。 動かない左肩と右手で握る重い剣を交互に見ながら嘆息をつくマチスの近くに、新たな影が落ちた。 気配を振り返ってみると、そこには見覚えのある男が立っていた。 ナバールである。 「珍しいものを見られたと思って手控えていたが、助けが必要なら手伝ってやろう。俺の目的にも沿える」 別方向に行ったと思った存在に驚きはしたが、ここは願ってもない申し出である。マチスのこの体では、ミシェイルが弱ってその命を閉じるのを待つしかないとすら思われたのだから。 「格好はつかないけど、仕方ねぇよな」 「王に勝ったのは間違いなくお前だ。誇っていい」 「別にそれは要らないけど……」 言って、再び足下を見据える。 「確かに、これでもう終わりだよ」 ミシェイルの築こうとしていたものも、マケドニアに降りかかった血で血を洗う戦いも。 隣で助けてくれようとしている男の気が済むかどうかはわからないが、決着がはっきりとつけば踏ん切りはつくはずだった。 |