「Noise messenger[4]」4-0-i:2 |
* 塔の地下へ続く階段を下りるにつれて、闇は濃くなってゆく。松明があるとはいえ、もはや地上とは別世界だった。 階段が終わって、マチスは先導の兵士に目的の牢へ案内される。 その気配を感じたのか、鉄格子の向こう、寝台の上で起き上がっていた人物が顔を上げた。 その青年は長めに伸ばした赤い髪に端整な顔立ちをしているものの、その右半分を包帯が覆い隠している。 「遅かったな」 マチスの従兄弟は顔の左側を少し歪めて続ける。 「とうの昔に忘れられたかとも思ったが」 直接剣を交えた戦いからほぼ一月、勝負を決してからマチスはこの従兄弟と顔を合わせる機会が作れなかった。 「どういう 元より勝てると思っていた戦いではない。マチスは敗色濃厚を知りつつも戦うしかなく、アイルは勝つと確信していた。 だが、その結果は逆転の形で現れている。 「決着がつけばたまたまだの間違いだのと言い訳はきかない、勝敗が全てだ」 そう断じるアイルの右目が元に戻る日は来ない。 マチスはその姿を視界に留め、事実を受け止めるしかなかった。 それにしてもここは暇で仕方ない、とアイルがぼやく。 「伯父上が動かず、僕の身柄は交渉に使えないのだから、この命はもう絶たれてもおかしくない。だが、一向にその気配がなくてな。おかげで、いかに人の目につく所で死ねるかを考える時間が増えた。ここで舌を噛み切っても陛下の御耳に届かねば意味がないからな」 従兄弟が言い終わった後も、マチスはこれといって言葉を発することはない。 相手の沈黙に、アイルが胡乱げに隻眼の視線を向ける。 「呆れるとでも思ったのだがな」 「そうしたいのを止めるつもりはねぇよ。あんたは前からそういう人だったし」 「説得ではないのだな。それもお前らしくはあるか。 だが翻意させる気がないのであれば、何の為にわざわざここまで来た」 「――おれのわがままだよ」 マチスが放ったぞんざいな言葉は、ある種自分にも向かっていた。 「何ができるってわけじゃないけど、そういう風にさせちまって顔を出さずじまいにしたくなかった。お互い、いい思いをしないのはわかってるのにな」 謝って済むものではなく、謝るべき事柄でもない。あの一瞬が突けなかったら、倒されていたのはマチスの方だったのだ。 「偽善とも偽悪ともつかない、お人好しはある種それ以上の害だ。その 「当たり前だけど、親父も相変わらずなんだろうな」 「陛下に仕えるのは、マケドニアの発展を願う者なら当然の事だ。他の誰にも陛下の真似などできないし、この先何十年も陛下のような器を持った統治者は現れないだろう」 ミシェイルの事になると俄然勢いづくというべくか、何が起こるかわからない未来の事まで言えてしまう辺り、信仰とは恐ろしいものである。 「この右目とて、陛下に仕えた故の傷だから悔いてはいない。主君のための戦いで命を投げ出すのだ、身体の一部分など瑣末なものに過ぎん」 「…………」 「わが弟ネクスもその心積もりで竜騎士として戦い、死んだ。最初はお前の部隊と交戦して、ミネルバ王女殿下の部隊に倒されたそうだな。だが、後悔はかけらもなかったはずだ」 かの竜騎士は体中に矢を受けてなお、マチスの事を反逆者と呼ばわって攻撃を仕掛けようとした。兄のアイルが言うように、それほどの信奉があるからこその行動だったのだろう。 そう気づくと、マチスは疲労感が背中からどっと襲ってくるのを感じた。 「何つーか……とてもおれには真似できねえよ」 鉄格子に掴まりそうな勢いに、アイルの方が呆れてきた。 「僕が言うのも何だが、大層な怪我人に喋るだけ喋らせておいてそれなのか」 「どうせおれは無理矢理させられた騎馬騎士だからな。義理があるから、どうにか戦場に立っていられたわけだし」 「そう言っている所は、二年前と変わらないな。すっかり別人になったわけでもないということか。……それはそれで、そんな奴に負けた屈辱が蘇って仕方ないな。相当苦労して気持ちを整理したというのに」 「あー……道理で潔いと思ったら、そ〜いう事だったのか」 「その通りだ。ただでさえお前は理解し難いというのに、また悶々とせねばならん」 どうしてくれると塞がれては、これは怪我とは別件で謝っておいた方がいいんだろうか、などと思えてしまう。 怒りを抱える従兄弟は立場を考慮したのか、深く息を吐き出した。 「僕もそうだったが、一族のほとんどがお前を御しやすい敵だと高をくくっていた。負けるはずがない、そもそもマケドニアまで戻れはしないだろう、とな」 「まぁ、無能とかさんざん言われたからねぇ」 「そうやって、他人事のように受け流す事がそもそも尋常ではないのだが――何と言われようと動じなかったからこそ、お前はそちら側にいるのかもな」 アイルの隻眼が見つめる先にあるのは、自らのいる世界の境界線を示す鉄格子だった。 「……顔を出しに来ただけだってのに、嫌な事言ってくれるよな」 この時期にまで顔を合わせられなかったのは、勝者の顔をしたくないという理由もあった。 だが、ここにはそうした事実が歴然として横たわっている。 これもまた、マチスにとって受け止めなくてはならない事だった。 |