「Noise messenger[3]」3-2:2 |
散会の後、マチスはその足でレナの元へ向かおうとしたが、本部の入口で待つ人物を見て足を止めた。 つい最近まで敵方に居たということで資料調書作成の協力を要請されていたルザと、隊から付き添いで来ていた騎馬騎士である。 「もう終わったのか。随分早いもんなんだな」 「わたしは所詮郷士ですし、求められた中で知っている事があまりなかったですから。でも、この城には残るようにと言われました」 「だろな」 一度の調書では見えない事もある。次の出撃に同行しない可能性は十分予期できる事だった。 多少居残るマチス隊の面々の元に居てもらっても良かったのだが、この件に関しては思いついていた事があった。 「明日からまた出なきゃいけなくなったから、しばらくはここの医療隊で面倒見てもらってくれないか」 「医療隊、ですか? 確か、レナ様がいらっしゃると」 「ああ。雑用くらいはさせてくれるんじゃねぇかと思ってんだけどな」 「そうですか……。レナ様とお会いできるのですね、楽しみです」 今は落ち着いているが、ルザを引き取った直後、レナも解放軍に所属していると教えた時の感激ぶりは只事ではなかった。驚き、感動し、終いには感極まって もっとも、直接にレナの出奔の手助けをした縁もあるし、そもそも女性が外の世界をひとりで生きるには厳しいとわかっていつつも送り出さなくてはならなかったのだから、この反応もわからないではなかった。 ただ、レナに関して告げていない事がもうひとつある。 医療隊の建物に近づくにつれ、マチスはその事が微妙に気にかかり、少しだけ触れておくことにした。 「多分、レナと一緒にいると嫌でも見かけるようになる奴が出てくるけど、その……まぁ、てきとーにやっといてくれ」 「は?」 「痛し痒しってやつかね。レナがそいつに怒った時には便乗していいけど、そうじゃない時は、追っ払ったりしたりしなかったりで頼むわ」 「……はぁ」 ――こうして生返事をしたルザが、レナを精力的に手伝う赤毛の若者の経歴を知って苦悶したり周囲に慰められたりするようになるのだが、それはあくまでも後日の話である。 まずはそのレナと引き合わせるべく医療隊を訪れて呼び出してもらうと、双方ともすぐお互いに気づいて、喜び合ったり謝ったり謝られたり事情を説明したりさん付けするのしないのとふたりだけで盛り上がってしまい、連れてきたマチスがしばらく傍観者の側に立たされてしまった。 すぐに済むからと同行していたマチス隊の騎馬騎士が、同情たっぷりにマチスを見やったものである。 「人望者の妹を持つってのも大変だな……」 「仕方ねえよ、本当の事だ」 爵位問題は案外簡単に解決するんじゃないか、とマチスの中で後ろ向きな結論が出ようとした頃、ようやくレナとルザの間で感動の再会がひとしきり終わり、ようやくこちらに注意が向いてくれた。 「ごめんなさい兄さん、つい話し込んでしまって」 「気が済んだなら別にいいよ。色々あったのは聞いてたから。 で、ルザを置いて行かないといけなくなったから、しばらくレナの所に居させてやってくれるか」 「ええ、もちろん。……兄さんは、もう行ってしまうの?」 「明日な。忙しないのは仕方ないさ、どこ向いても――」 言いかけたマチスの声音が唐突に途切れる。 どの戦場へ行ってもなまじ顔を知る人々が現れ、敵対の姿勢を崩さない。 自分達が生き残るため、時にはそうした人達を踏み越える必要が出てくる。 わかってはいたが、改めて事実を突きつけられている実感は重い。 そんな思いを振り払うように、マチスは肩をすくめてみせた。 「ま、ヘマやらないように気をつけるよ。やりすぎるな、ってマルス王子から厳重注意喰らっちまったし」 そう言ってみせたものの、どうやら誤魔化しれなかったらしく、レナからは心配そうに見上げられるばかりだった。 「本当に気をつけてね、マケドニアに入ってからの兄さんは無理ばかりしているから」 ……断定で見透かされてやがる。 格の違いを見せつけられて落胆したくなったマチスだったが、醜態ばかりが重なりそうだったのでどうにか抑え、妹の有り難い忠告に頷いておいた。 「レナも気をつけてな、ここだって仕事多いんだから休める時に休んどけよ」 じゃあな、と別れ際に手を挙げると、レナが小さく手を振り返し、お帰りをお待ちしてますとルザが頭を垂れた。 その刹那、マチスは奇妙な感覚にとらわれて、苦笑しそうになった。 屋敷にいた頃は見送る立場だったのに、今は完全に逆転している。 抜け出せなかった日々の中では思いもよらぬ形で、自分もレナ達もここにいる。人の生などどう転ぶか、本当にわからないとつくづく思うのはこういう時だ。 そんな感慨を表向きは閉じ込めてふたりと別れ、一旦部隊に戻ると客が待ち構えていた。 宿舎の粗末な一室で、小さな、しかし油断ならない存在の少女がこちらに笑顔を向けている。 「こんにちは、マチスさん。戻ってきているっていうから、お邪魔しちゃった」 マチスは眉間にしわを寄せ、ぼやいたものである。 「……何というか、呼びつけりゃいいんじゃねぇの? 王女の場合」 「あら、それだと忙しいとか言って逃げられちゃうでしょ」 マリアの正しい指摘に、マチスは唸りそうになった。 そこまで薄情なつもりはないが、絶対にないと言えないのも事実だった。また、そういう実績を積み上げているのも否定はできない。 「だからって、そういう風に動き回ったら色んな連中が黙ってないだろうに」 「でも、思ったよりも今は自由に歩き回れるのよ。医療隊専属でもないし。 で、この間お話しようとしたら入れ違っちゃったから、今のうちにと思って」 「話って……おれと?」 そうよ、とマリア。 「お話したい事はたくさんあるんだけど、まずはこのお城ね。 だって、ひとりで入っていって、無血開城したんでしょ? どうしてそんな事ができたのか、すっごく気になってたの!」 目をキラキラさせて、最後には小さくこぶしを握ってまで期待感を露わにするマリアに対し、訊かれた当事者は気力の萎える事この上ない。 酷い尾鰭がついた想像を裏切るのが目に見えているだけに、この話を進めるのは気が重いばかりだったのだが、結局は繕う努力を諦めることになった。 「何か、凄い手管使った、みたいな事聞きたいんだろうけど、そ〜いうわけじゃないんだよ」 「そうなの?」 「オーダイン将軍は一応上役だった人だし、何かできねえかって思ったら色々ひとっ飛びになって、結果的にここを出ていったってわけで。まともに思い返したら、どう考えても繋がんない事多いし、説明しろって言われても困るってのが正直なとこだから」 マチスの困りながらの釈明に対し、マリアはうーんと口を尖らせてしばらく沈思した後に、でも、と口火を切った。 「同じ事ができた人は多分いなかったと思うし、ちゃんと評価されていいんじゃないかしら」 「別にされなくてもいいっつーか、されたくないんだけどな……」 そうした動きは先のハーディンの発言でもある通りに、どちらかというと持ち上がりの機運ができつつはある。戦況の目まぐるしさでどうにかはぐらかしてもらっている現状だが、どこまで続くか怪しいものだった。 そこへ、マリアによる追い討ちの発言が襲いかかってきた。 「ちゃんとやっていたら、今頃聖騎士になっていたんじゃないかしら?」 胸を衝いて、ぐっ、とマチスの口から息が洩れた。飲み物を口にしていたらまず間違いなく噴き出していただろう。 「誰の話だよ、それ」 「マチスさん以外にいないじゃない」 けろりと返してくれるものだが、たとえマケドニアのものであっても聖騎士の位がそんな安売りされていいものではない事は、マケドニアの騎馬騎士は皆存分に知っている。先日のカチュア達にしてもそうだが、相手にしている人間の武力を省みてから言ってほしいものである。 そう来ると、銀の槍すら持たせないミネルバの判断は至極まともに感じられる。彼女の意見を支持できた、珍しい瞬間だった。 「ま、ミネルバ王女が決める事だから、こうなってるわけだしな」 多分、その災いたる日は来ない。そう確信するマチスに対して、マリアは少し思案したようだったが、別の事を思い出したのか、そうだわ、と手を打ってきた。 「このあいだ、マチスさんの従兄の人に会ってきたの。結構カッコ良くて――はいいんだけど、立場が違うのに普通にお話しできたし、いい方なのね」 「わざわざ会いに行ったわけ?」 「ううん、シスター・レナと会う時に話の、その、ついでだったんだけども」 「――――。目は、駄目だっただろ」 低い呟きのようなマチスの科白に、マリアは 「あいつ、元から王子の信望問題は譲らないし、まだ――当分は話せる気がしなくてね」 「じゃあ、マチスさんはまだ会っていないの?」 「そういう事になるな」 そうしている時間があまり取れなかったのは確かだったが、強引に時間を作ろうとしなかったのは、片目を失わせ、その上で重ねられる何かが未だに欠如しているせいだった。 「王女に言うのも何だけど、ここんところ、何ていうのかな、心の中の目みたいのが霞んでいるようでならない感じがしてならなくてね」 言った直後に、詮無き事を言ったものだと、発言を取り消そうとしたが、これを受けたマリアは考えながらマチスを見つめ返し、ひとつの瞬きの後に口を開いた。 「でも、わからなくは……ないかも」 「え?」 自分だけにわかる心当たりはそこはかとなくあるために、マチスの発した問いかけは予想外の色を帯びていた。あまりわかってもらってはいけないはずなのだが、と。 そんな思いでいるマチスを前に、マリアは右手を自らの胸元に当てる。 「王女じゃなくて、これは 「…………」 完全ではないが七割そこそこ、戦場に身を晒さない少女が回答者である事を加味すれば、かなりの部分を言い当てられていると言っていいだろう。 戦うと割り切っていても、実はそこまで思い切れていない、敵対している人達の生への可能性をどこかで探っている節がある。実力を言い訳にしている部分もあるが、それも込みで自分の甘さだった。 「ま、向いてない稼業なのは確かだな。何が向いてるのかまだ見つけられてないし、本当にあるかどうかわからないけど」 「そうなの?」 意外だとばかりにマリアがぱちりと目を見開く。 「わかってたら、こんな事になる前にちゃんと必死こいて家から出ていたよ。名前の通りに絵に向いてたらそれもありだったけど、違ってたし。魔道だの法力だのに関してはだいたいレナに行ったみたいだから。 ……って、こういうのは王女に言うべきじゃないんだろうけどな」 頭の中で、この少女の中身が年相応以上だと思っているのがいけないのだろうが、仕えるべき対象云々を抜きにしても、マリアの見た目に思い返してみると滑稽な図なのだ。 だが、当人は気にしていないようで、 「さっきも言ったけど、わたしだってシスターだし、ご先祖様達だって苦労されたんだから、今のわたし達に苦しい時があるのは当然だと思うもの」 どうやらマリアは、この戦いを建国の戦になぞっているようだった。 強大な敵とは彼らの肉親に他ならない。それでも立ち向かわなければならないから、個々の根拠を持って勇気に換えているのだ。その上、他人の心配をしてくる。 これで一三歳とか、やっぱり只者じゃないなどと呟いていると、マリアが一瞬だけ、不敵な――今回は、はっきりとそうわかる――微笑を向け、祈りを捧げるからと差し向かいに立つよう促され、 使命を得て戻ってきて 「無事に帰ってきてくれますように」 祈りの仕草と言葉に宿る二重の響きは、完全に聞き取れなかったものの、彼女の内で見定めたものがあると強く意識させられたのだった。 これで用向きが済んだのか、帰途につくマリアを見送り、小休止の後に厩舎へ向かうと、隊の人々と談笑する大男の姿があった。 |