「Noise messenger[2]」 2-3:1 |
(2-3) マケドニア東部領主連合軍は先陣の兵を進め、来たるべき戦闘に備えていた。 意気揚々とする司令の侯爵が率いる部隊の脇で、ティーザの兵は一様に緊張している。 つい先だって指揮官から彼らに伝えられた言葉も、それに拍車をかけていた。 「――反逆者とはいえ、伯爵様の子を衆目に晒して処刑に及ぶのは忍びない。 もし、あの方が我らの元をめがけるような事があれば、せめて捕らえずに、ここで果てていただこう」 マチスがどんな兵を率い、どういう将として現れるかティーザの兵達は知らない。同盟軍の中でさほど有名にならなかった事もあり、何もできずにくさっていた印象も加えて、脅威と呼べるような相手ではないのだろう、と推測するに留まっている。 それは司令の侯爵も同じらしく、進撃の軍議の最中に最初に叛旗を翻したマチスがすぐそこの敵陣にいると聞いた時には、これは間違いなく討ち取り、あるいは捕らえてみせると息巻いていたのである。 王ミシェイルの指示には、ミネルバやペガサス三姉妹への対処法として、決して功を焦らず、強固な結束を見せつけて立ちはだかるべし、とある。同国人の中でいかに少数派であるかを思い知らせることができるのが、領主連合軍の持つ最大の武器なのだという。 だが逆に言えば、彼女達が相手の時は攻めに出られないということでもある。ミネルバ達は数が少なくとも戦巧者ではあるから、攻める時の隙を見つけられたらそこから総崩れになる可能性はかなり高い。ただ、国王に背いた大物がすぐ近くにいたとしても仕掛けられないというのは、歯がゆいものがある。 しかし東の戦線に彼女達は現れず、ミネルバに従う軽重歩兵隊がやってきてこの連中とは守りの戦いをしつつ、それなりに発散はできていた。が、彼らの長は騎士階級まででしかない。 そこへ現れたのがマチスだった。大物かどうかはさておき、名門貴族の血筋を持ちなおかつ最初に反ミシェイルの立場をはっきりと標榜して叛旗を翻している。しかも、戦いを仕掛けても咎められることはないとあれば、これは留まる理由がなかった。 守りでの折衝が多かった上に、同盟軍の兵力増強によってこれからしばらくの間は完全な守りの姿勢になると見越した侯爵は、この機を逃さじと自ら前に出て、今まで叶わなかった分まで敵方の戦力に大きな打撃を与えようと考えていた。 そうした諸事情の中、ティーザの兵士達はひたすらに前方を見ていた。 先頭に出されているとはいえ、戦力として期待されているのではなく、第一報の段階で指揮官が言ったようにその役割はマチスを誘い出すための囮だった。真っ向から向かってくることがないとしても、存在を意識させるだけでも意義は大きい。 慣れない場所と今まで経験したことがない「元身内との戦い」。 ルザも含めて、果たしてどうなるかと見つめる中、伝令が侯爵陣営に戻ったかと思うと、わずかな手勢を率いて侯爵自身が馬を走らせていった。 五つほどの騎影が両軍の中間近くに差し掛かり、アカネイア解放同盟軍の陣営へ向かって大声で呼ばわる。 「貴族の身でありながら陛下に仇為した反逆者マチス、貴様の所業、決して許せるものではない! 我らマケドニアの誇りにかけて討ち果たす!」 その声を解放軍陣営で聞いていたマチスは、半ば呆れるように言ったものだった。 「本当に名指ししてきたな……」 「当たり前だろう、それだけの事をやっているんだからな」 と、歩兵部隊長。 「とはいえ、ほぼ単独で出てきたのは余計に好都合だな。……気持ちはわからなくもないが」 「っていうと?」 「総指揮が出るなど普通ではありえないが、あの司令は衆目を集めるのがよほど好きな上に、王への忠節が篤いのだろうよ」 「じゃあ気持ちがわかるってのは、あんたが目立ちたがり屋だから?」 「……普通は違う方に取ると思うがな」 とにかく、と歩兵部隊長が話題を切り替える。 「策の通りに出て行くまではいいが、機を間違えたら一巻の終わりと思った方がいい。おそらく向こうにとってきさまは、ミネルバ様よりも遠慮なく向かっていける敵のマケドニア人だからな」 お手間ですが、とマチスの横に立つボルポートが歩兵部隊長らに断りを入れる。 「しばしの間は耳を塞いでおいた方が宜しいかと思います」 歩兵部隊長が怪訝そうな顔でボルポートの方を見た。 「妙な事を言うものだな」 「じきにわかるかと思いますが、一応前もって言っておこうと思いましたので」 そこへ、再び侯爵の声がした。 「所詮は反逆者よ。他国の兵に守られてばかりで、自らの正義を証明できぬとはな!」 マチスは色なすこともなく正面を見据えている。その様子から特別な感情の波は見て取れない。 「そろそろ行った方がいいかねぇ」 「頃合いでしょう」 じゃ行くか、とマチスが馬を進めると、侯爵と同じように四騎が従った。同じ形を取るのは、表面上は礼儀と口上を返すためだが、逃げるのに都合のいい方法を取るためという意味合いが一番強い。 周囲についた四騎の中にはシューグの姿もある。文句を言っていた割には、切り込み役、つまりは最も危険な役目をきっちりと全うするつもりがあるらしい。 「なんか、悪いな。こんなとこまで付き合わせて」 「騎馬騎士にも誇りってのがあるからな。伊達に全盛期の頃の将軍を間近に見て育ったわけじゃねえ。ましてや、あっちには竜騎士もいるんだ、びびってたまるか」 「――」 マチスは問いかけようとしたが、その前に侯爵と対峙できるぎりぎりの位置に着いた。 一目でそれとわかる侯爵は、兜の面を開いていた。 マケドニア軍がこちらと同じ策を持っていたら危険ではあったが、そこまで腕のいい人間がこんな所に転がってはいないだろうと判断し、マチスも面頬を上げて顔を晒した。 「どんな身の程知らずかと思ったが、まだ年若いのだな」 対峙の第一声をそう上げた侯爵は、四十半ばと見えた。 「――これでも、解放軍の将の中じゃ年くってる方だけどな」 この戦争で新たに現れた有能な人間が概ね二十歳を下っているので、解放軍全体の軍議に参加すると、二四歳という年齢は微妙な少数域に入ってしまう。ハーディンやロレンスといった例外もいるが、彼らは以前より功がある。 「礼儀として一応訊くが、何故ミシェイル陛下に従わぬ。ミネルバ殿下に従ったところで、アカネイアの言いなりになるだけだろうに」 「…………」 この問いは文字通りであってついでの意図と、背後にいる解放軍のマケドニア人を揺さぶるためのものだったのだろう。 が、ここで一番大きく揺さぶられたのは対峙していたマチスだった。 押し黙ったまま、次の言葉を発することができずにいる。 この反応は意外だったらしく、侯爵が不敵に笑った。 「ほう、最初に裏切ったにしては迷うところがあるのか」 マチスはまだ言い返せず、隠れて歯噛みする。認めたくはないが図星だった。こんな所で迷っている場合ではないが、侯爵の言っている事も引っかかってはいるのも事実なのだ。 ミシェイルではなく、ミネルバに従っている理由。 アリティアの捕虜になって命を救われた前提以外にそれがあるのか。 なかったとしたら、ミシェイルについていたのか? その問いを自分に向け、その瞬間にマチスは笑い出していた。 「何考えてたんだろうなぁ、おれは」 この場になって唐突に笑い出したマチスに、敵も味方も疑いの目を向けた。 「何をいきなり笑い出すか! このような時に」 いきり立つ侯爵に、マチスは晴れ晴れとした口調で言う。 「いい事に気づかせてくれたよ。あの王子の方が嫌いだからこっちにいられるってのはな」 他ならぬ国王への侮辱に、侯爵が吠えた。 「マケドニア人でありながら陛下を未だそのように呼ぶとは、恩知らずにも程がある! 愚者と呼ばれただけの事はあるわ!」 「嫌いなんだから仕方ない。あんな方法で玉座獲ったって、ボンボンの王子から抜け出せやしねえんだよ」。 マチスが言い放つと、侯爵は完全に逆上した。 「その侮蔑、我が友軍――貴様の家の軍勢で後悔させてくれる! ティーザ勢、そなたらが出した反逆者を逃(のが)すでないぞ! 我が兵も進め、遅れを取るな!」 伯爵家の紋章を始めとした敵の旗が翻り、眼前を占拠する。 そして狙い通りに、侯爵は引き下がらなかった。その目でマチスが倒れるのを見届けるつもりなのだろう。 後方の味方も動き出す中、シューグ達は侯爵の思惑を回避すべく馬首を返そうとした。だが、肝心のマチスが動こうとしない。 「おい、早く逃げ――」 最後まで言う前にシューグは舌打ちした。騎馬の侯爵兵と竜騎士が迫りつつある。数はさほどでもないが、マチスだけを残して行くわけにはいかない。 本職の騎馬騎士だから侯爵兵はどうとでもなるが問題は竜騎士で、マチス達が逃げる前提にあったため、オレルアンのホースメンは侯爵を誘い出す目的もあって、かなり後方に置いてしまったのである。 となると、ボルポートの出した策の仕上げに期待するしかない。 シューグ達は自分達の後方の一点、先頭のアリティアに混ざって機を窺っていた人物へと気持ちを向けた。 ――当ててくれ! その矢は、当たらずともこちらの気を削ぐために射程の外から放たれたように、マケドニア軍には思われた。 が、矢の勢いは殊のほか強く、吸い込まれるようにして司令の侯爵へ向かっていき――剥き出しの顔に命中した。 悲鳴とともに馬上で暴れてしまったため、侯爵の周りが騒がしくなっただけではなく、味方の目をも引いてしまった。 敵の矢は間違いなく射程外だったはずだが、司令がやられてしまったのは現実である。 このまま居続けたとしてもてんでバラバラに戦い続ける形にしかならないため、駆け始めていたティーザ勢もすぐに引き返した。 その中にいたルザは退却しながらも、奇妙な笑いの発作をこっそりと起こしていた。 あまりにもひどい話だが、マチスが関わっていたというだけで納得してしまったし、何故だか可笑しさが止まらない。 それでも、恐慌を来たす自陣から退かなくてはならない。遠くから見えた騎影への感慨はひとまず置いて、ひたすら走らねばならなかった。 一方、矢の命中を見届けたマチスは遅まきながら自陣の中央まで戻ろうとしていたが、竜騎士達に捕まりつつあった。 「自分の身をちったぁ省みやがれ!」 例によってシューグが言葉ではマチスに噛み付きつつも、じっと上空を見上げる。若干離れていたとはいえ、竜騎士の移動速度は速い。 もっとも、その竜騎士も下での異変に若干躊躇しているらしく、マチス達はわずかながらに味方との距離を詰めることができた。 後はマチスが倒れる前に味方が来てくれるしかない。姿が見えてはいるが、敵の存在感と比べるとやたらと遠くに感じられた。 しかし、後方から凄まじい土埃を上げて怒涛の勢いで駆けつけようとする集団があった。 それがホースメンも擁するオレルアン勢だとわかり、彼らは射程に入るや、敵に向けて次々と矢を射掛けた。 上空に逃れる敵の竜騎士をよそにマチス達は大急ぎで矢を回避する進路を取り、慌てた末にアリティアの陣営に着いた。 そこには常識外の射撃を披露してみせたカシムがいた。 早くもアリティア騎士から賞賛の声を受けていたが、マチス達に気がつくと眉を開いた。 「よかった、無事戻られたんですね」 「カシムの弓の腕のおかげだよ。やっぱり凄いな」 「でも、あの弓は扱ったことがなかったから正直自信はなかったんですよ。絶対に大丈夫だと励まされて、どうにかできたくらいで……」 アカネイア大陸ではほとんど見かけないが、他の大陸から流れ込んできたのか、射程の長い弓というのは存在する。数が足りず、材料が大陸内で調達できない事から軍隊での正式採用には至っていない。 今回はこの弓を使ってどうにかしたわけだが、カシムが危ぶむように、侯爵に矢を当てた時でさえアリティアの陣を飛び出して少しでも距離を稼いだ上で、勢いと命中精度を少しでも上げようとした。マチスがすぐに逃げなかったのは、侯爵に必要以上に動かれないためでもあったのだ。 この手柄をどうにかしてカシムに集中させようと、マチスが妙な意気込みを持ったところで、オレルアン勢が戻ってきた。 見事に竜騎士を退散させたらしい。 こっちにもアリティアの騎士と一緒に賞賛を送ろうとしたら、率いていたビラクが近づいてきて、いきなりマチスに切り出してきた。 「この間の借りは、これでいくらか消しておいてくれ」 「この間のって……あれか。ロシェに捕まった」 「ロシェにもいくらか事情があるが、差し引いても不公平だとまとまったし、先程の口上で間者扱いするのが筋違いだとよくわかったからな。そういう事だ」 侯爵とのやりとりは好き勝手に主張しただけだったのだが、予想外にも誤解を解く方に作用したらしい。 だが、その口上で精神的に打撃を受けた人間もいた。 その代表格が歩兵部隊長である。 「文句をつけるところがありすぎて、どこから言ったらいいのかわからん……」 マチスが侯爵に向けて言い放ったミシェイルへの批判は、色んな意味で一部以外の解放軍マケドニア勢の頭を抱えさせた。軽重歩兵部隊にとって今の主君はミネルバではあるが、一度はミシェイルに従い、その思いが何らかの形でわずかに残っている者もいる。 それを身も蓋もないまでに攻め立て、挙句に好き嫌いの問題でミネルバについているのだと言われれば脱力したくなったのだろう。 この様子を見たボルポートは、若干反省の色を見せたものである。 「あの人を挑発の適任者と言ったが、強すぎたかもしれんな……」 |