「Noise messenger[2]」 2-2:2 |
* 十月中旬、グルニアから第二陣が城に到着し、解放軍の戦力は増強された。 弓隊を率いるトーマス、戦車等の技術を持つベック、魔道補佐の増強としてウェンデルとマリク、拠点防衛部隊としてドーガとミシェラン、傭兵隊のシーザ――以上が主な増援部隊長の面々となる。 が、この第二陣で最も重要な人物はマケドニア王女マリアである。 最初からマケドニア戦に臨むことを希望していたものの、周囲の猛反対に遭い、だったら最初の拠点が得られた時に行くと強硬に言い立て、ようやく彼女は解放軍の戦線本部に追いついたのである。 しかし、姉ミネルバやパオラを始めとしたマケドニア騎士の多くはこの城を離れていたため、居残っていた天馬騎士達に顔を見せるだけに留まった。彼女達は一様に仲間の安否を心配しており――というのも、マケドニア軍が竜騎士団や天馬騎士団を各地の戦線に送り込んでいるため、それに対抗すべく戦っている最中なのだという。マリアはこうした戦事に介入できる術は持たない。元気づけてあげるので精一杯だった。 そして今、マリアは案内を受けて医療部隊の元に向かっている。今回は王女としての役割が強いから実際に施術する機会は少ないだろうが、それでも慣れた場所である。足を運んでおきたいと望んだのだ。 顔を知っている大勢の人や僧侶リフに挨拶して少し話をしたが、内心で目当てにしていた人の姿がない。 「シスター・レナはいないのかしら?」 「尼僧なら向こうの――重傷を負った捕虜の所に行っておりますよ。良い顔をしない者も多いですが、放っておけないのもわかります故、行かせております」 捕虜、とマリアは口の中だけでその音を響かせた。 先の戦いについては大勝したと聞き、城に至ってはほとんどきれいな状態でマチスが明け渡させたと聞いている。――そのマチスにもマリアは会っておきたかったのだが、今はこの城にいない。マリアが到着する直前に報せを受け、部隊を率いて領主軍との戦線に向かっていったとのことだった。 と、マリアが知っているのはそこまでだったため、リフの教えてくれた事については何か閃くような気配はあるものの、結局そこまでは思い至らない。 ひとまず礼を言って医療部隊を離れ、その捕虜を入れているという塔へ足を運ぶ。居場所はわかったのだから居室に戻ってレナを呼び出してはどうかと護衛の兵士に助言されたが、今回の捕虜はその多くがマケドニア人である。思うところも多々あって希望を押し通すことにしたのだ。 塔の入り口に立つ兵士に頼んでレナを呼んでもらい(さすがに直接牢に行くのは止められた)、果たして元貴族の尼僧は外に現れた。 マリアの姿を見てレナは晴れた表情を見せる。 「マリア様、もうご到着されたのですね。長旅お疲れ様でございました」 「大丈夫よ、ここで戦っていた人達に比べたら何てことないから。……まぁ、ちょっと退屈だったけど」 肩を小さくすくめてみせると、レナの面持ちがほころんだ。 しかし、すぐにその顔は問いかけるものになる。 「わざわざ 「ええ、シスターと話したいというのもあったのだけど……シスターはどうしてここに?」 身の安全を考慮して、基本的に尼僧は捕虜の治療には携わらないのが通例になっている。 レナは少し遠慮がちな雰囲気で言葉を紡ぐ。 「先の戦いで、マケドニア軍にいた私の従兄が捕虜になりまして酷い怪我を負いましたので、お許しを得て治癒に関わらせてもらっているのです」 マリアの頭の中で色々な問いかけや感情が入り混じったが、先ず発したのはこの言葉だった。 「その人に、会わせてもらっていいかしら?」 この科白は、話相手になっていたレナばかりでなく、傍に立っていた兵士にも動揺を与えた。 「王女様、さすがにそれは止(よ)した方が……」 「私もそう思います。……それと、施術に関しては命の危険がないので、とりあえずこれ以上行えないのです」 ということは、一度は治癒(ライブ)辺りを施したらしい――とマリアは解釈する。レナの従兄であればまず間違いなく貴族だろうから、施術の許可が出たのにも頷けた。 「そういう意味でお邪魔するつもりはないの。ただ、ちょっと会っておきたいと思って。本当はマチスさんもいれば良かったんだけど」 「兄が、ですか?」 「でも今はいないんだから、仕方ないわ。――その人、会えないような状態なの?」 「いえ、熱もだいぶ引いていますから少し話す程度であれば、大丈夫です」 「そう、じゃあ早速行きましょ」 マリアが明るく言うのにレナと兵士は顔を見合わせたが、引き下がらせる術はないと判断したのか諦めがちに頷いたものだった。 兵士に同行してもらったままレナと共に塔内の牢に入ると、膏薬のにおいが鼻についた。とはいってもマリアには馴染み深いものである。 牢と言っても雑居房ではなく個室であり、簡素だが寝台まで置かれているから、環境は相当に良い。敵とはいえ、貴族故の待遇だろう。 その寝台の上で目を閉じて横たわる捕虜は顔の右半分を包帯で厚く覆われていたが、左半分には端正な顔立ちが窺えた。痛々しい姿の中にもその作りは何か訴えかけるものがある。 思わず、マリアの胸の内はちょこっとだけときめいてしまった。 目だけでレナと捕虜青年を見比べる。 「お兄さんって言われてもしっくりくるわ……」 と言ったところで、あ、と失言に気づいた。この場にいない本当の「お兄さん」に対して非常に失礼な発言である。 それに気づいたのか、レナは少しだけ苦笑してみせた。 「以前から言われてましたから、大丈夫です。気になさらないでください」 その声に反応して、捕虜の左目が物憂げに開く。 「レナ殿、もう戻られたらどうだ。何者を連れて来られても、僕の意思は変わらん」 「承知しています、アイル様。ここに留まるのは私の覚悟を固めるためですから」 レナがここを訪れていたのは説得のためかと思われたが、どうやらそれに留まらない気配である。 レナが一度マリアの方に目を向け、アイルへ正体を明かすそぶりを見せたが、幼い少女は首を振った。 「いいわ、今は」 「――幻聴ではないようだが、子供がこんな所で何をしている?」 不自由の多い身では、マリアの姿は死角にあるようだった。 姿が見える場所に歩を進めて、アイルに声をかける。 「 捕虜青年の口元が歪む。 「建国の説話か。――ということは、貴女はマリア殿下か。レナ殿が敬語で接していたから奇妙だとは思ったが」 「ごめんなさい、無理矢理訪ねてしまって。どうしてもお話がしたかったものだから」 「たとえ尋問であろうとも断れる立場ではない。だが、この身は貴女の兄君たるミシェイル陛下に捧げたもの。帰順はできぬと 「そうね。わたしが兄様に勝てるはずはないもの」 「……こう言っては何だが、おかしな事を仰るのだな。まるで、陛下に対抗されるかのような」 そうした発想すら信じられない、そういった胸中の発露が窺える口調だった。 「ミネルバ姉様はそのつもりでいるわ。そのために、わたしをドルーアから助け出してくれた。 確証たっぷりに言い切るマリアに、アイルは左目だけで怪訝そうな様子をあらわす。 「陛下の足下を揺るがすような人物が、か?」 「ええ、ここにいる 「――え?」 名指しされたレナはひたすら驚く顔をするしかなかった。そこまで言われるほどの人物と知らないうちに確約を取ったのかと思ったら、まさかそれが自分だとは思わなかったのである。 そんなレナには敢えて構わずマリアは朗々と続ける。 「苦しい戦いの中であなた達のご先祖様は味方を励ましてきた。もちろん、わたし達のご先祖様もその中に入っているわ。 「国祖アイオテの正義を証明するのが、たったひとりの僧侶だというのか? 「そうね。――別に、今はすぐ味方になってほしくて来たわけじゃないの。シスターの身内の人ってどんな人だろうと思っただけだから。シスターとかなり似ててびっくりしちゃったけど」 「……それは、光栄と言うべきだったのだろうな。自慢じゃないが、嫡流の伯父を継いでもおかしくないと容姿だと相当言われた。僕は傍流だったから、そう言われたのは純粋に嬉しかった。 だが、レナ殿の兄にこの右目をやられた。奴はそういうつもりはなかったのだろうが、傍流は傍流でしかないと事実を突きつけられた気がしたよ」 マリアがレナに目で問いかけると、彼女はそっと頷いた。 「先の戦いで直接戦って、それで――。でも、兄は本当にそんな意図で傷を負わせたのではないと思います」 どちらかというと嫡流であるにもかかわらず、色々と諦めてしまっている節のあるマチスの様子を思い出し、マリアは納得する。 「そうでしょうね。 ――で、その目はもう治らないの?」 「傷を負った直後に 「んー……確かに、あの杖は難しいものね」 「ウェンデル様やボア様がいらっしゃればまた違ったのしょうけど、最前線にお呼びするのは困難だったと思います」 「そうよね……うーん……」 おしゃまに握った手を口に当てるその様が表すのは「もったいない」である。 「隻眼の美形っていうのも様になるけど、やっぱりちゃんと一度お顔を見たかったわ。マチスさんも、もうちょっとだけ狙いを逸らしてくれれば良かったのに」 年相応、というよりも立派な面食いの淑女といったマリアの反応に、アイルは苦笑していた。 「それは申し訳ありませんでした、淑女(レディ)。責は従兄弟にもありますが、私の失態には違いありません」 言う事はまじめくさっているが、小芝居めいているのが愛嬌たっぷりである。 ささやかな、しかし心からの笑顔のやりとりに、牢という場所柄らしくない和やかな空気が流れていた。 良い雰囲気にはなったところで、マリアはここを出ることにした。 「大変な怪我をしているのに、長居しちゃってごめんなさい。楽しい人っていうのもわかって嬉しかったわ」 「私の方こそ、貴女と話せて目と心の慰めになりました。有り難き心遣い、心より感謝致します」 この雰囲気を別れ際に壊したくないというのもあったが、今は強引に押してもお互いに動かないとわかっていたからふたりとも居心地の悪い話題は避ける形になった。 牢を離れ、塔の外に出て秋の新鮮な空気に触れるとマリアは大きく伸びをした。割と普通に話してはいたが、地下から抜け出せば開放感で気分が軽くなるのは当然だった。 「シスター、長く付き合わせちゃったわね。ありがとう」 「いいえ、マリア様こそお疲れでしたでしょう」 「ううん、ちゃんと話せたし、やっぱり根はいい人だってわかったもの。 問いかけるマリアに、レナは緩やかに首を振った。 「マケドニアの戦いには関わらないと祖父は言っていましたけど、私に杖を渡せば意味が生じるのはわかっていたと思います。私は一介の僧ですので、仰るほどの大きな貢献ができるかというと難しいですけど、それでも叶う限り力添えはさせていただきたく存じます」 「大丈夫よ、シスターならずっと解放軍の力になっているもの。 ……あのね、王宮の奥の奥に大きな絵があって、兄様や姉様に構ってもらえない時には乳母の手を引っ張って見に行ってたの。マケドニアの建国にまつわる絵なんだけど、その中に 「だから、先程あのような事を仰ったのですか?」 「そう。わたし、小さい時にマケドニアを離れたから、実は思い出はそんなに持っていないんだけど、王都のお城の事を思い出すと父様達との思い出と一緒にその絵の事も思い出すの」 「それは……どの国も平和だった頃のご記憶ですね」 うん、とマリアは頷く。 「もっと父様や兄様や姉様に甘えて、どこかの国の王子様と結婚する日をわくわくしながら待って、みんなに祝福されてお興し入れをするのが夢だったの。父様は亡くなってしまったけど、いつかどこかでそういう日々に戻れるのかなって」 「マリア様……」 快活で陽気な心を持つとはいえ、マリアはまだ十三歳だった。しかもマケドニアがドルーアに従った時にその証として人質となり、人生の半分ほどを不自由な身の上で送っていたのである。 その上、これから待ち受ける運命もまた過酷なものになる。 にもかかわらず、この少女の眼差しはなおも明るかった。 「ねえ、シスター。ぜったいにこの国を平和にしましょうね」 「はい――!」 尼僧の身ではできる事は限られているが、レナはこの少女への声援を込めて力強く頷いたのだった。 |