「Noise messenger[2]」 2-1:2 |
* 最南端の拠点を守る国内の初戦が同盟軍の上陸からわずか数日で決着し、敗北に終わったという報せは、王都で決戦に備えるマケドニア陣営にとって信じ難いものだった。 マケドニア軍各騎士団から相応の戦力を送り出し、大陸に名高いグルニア黒騎士団の生き残りと戦車の技術を配しておいて敗れたこともさることながら、主将オーダインがわずかな期間しか篭城せずに城を明け渡して撤退した、ある種裏切りのような行為も人々を驚かせている。 最後の事柄に関しては、聖騎士といえど所詮は騎馬騎士だと竜騎士団の将がすげなく言い捨てたものの、厳しい戦況を伝令に託していたのに、増援を待つ選択肢を簡単に捨てた事は解せないと他団の将に返され、しばらく考えた末に、 「同盟軍の勢いに呑まれた、ということか……」 そう言葉を発するのが精一杯だった。 諸将の居並ぶ広く重厚な会議室に、傍流の王族や公爵家に連なる面々を従え、彼らの主君・マケドニア王ミシェイルが姿を現した。 三十歳を目前にした若い王ではあるが、長年にわたるアカネイアの干渉を退けるため主力の竜騎士団を中心にして国内の結束を固め、結果的に国を豊かにした手腕は大半の者を心から従わせた。時に苛烈な手段を選ぶこともあるが、それも国の発展に至る道筋なのだと臣下達は納得している。 騒然としていた会議室に沈黙が訪れ、席に着いたミシェイルが自ら口火を切った。 「過日の戦、初戦でマケドニアの戦力の髄を集め同盟軍を撃破せんと臨んだが、結果は諸君らの知る通り城まで陥ちた。完全な敗北になったわけだ」 冷淡に言い放つミシェイルへ、重臣のひとりが立ち上がる。 「お待ちください陛下、此度の敗戦はオーダイン将軍がすぐに城を捨ててしまったからであり、作戦の手落ちではありませぬ」 「その策が問題だった、と俺は考えているのだがな。髄を集めただけで勝てる相手だと思ったのが間違いだった、と」 ミシェイルが自ら過ちを認めるということは、その反動は必ず苛烈なものになる。 そんな予感を抱きつつ、重臣のひとりはなおも言い立てた。 「それはオーダイン将軍が統率しきれなかったからでしょう。器が足りなかっただけの事です」 「ならば、将軍を任命した俺の器も足りなかったということだな?」 さしたる感情の波も表さずに見渡すミシェイルの視界に入った臣下達は、対照的なまでに大きく身振りして必死に否定した。そうしなければならなかった、というのが彼らの強い気持ちだっただろう。 「それとこれとは話が別でございます。戦場での敗北は即ち主将が責を負うべきものですから」 「ならば、諸君のうちの何者かであれば先の戦いは勝ちを収められたというのだな。 俺は平原の戦だからオーダインに委ねたが、騎馬騎士団以外の戦力を他団に替えたからといって、それだけで結果が変わったとは思えぬ」 王の前だから表立っては言わないが、同盟軍の勢いの凄まじさは他国進攻の際からさんざん耳にし、今こうして自分達の問題として直接降りかかっている。ミシェイルの言うことが道理にかなっているのも、臣下達にはよくわかっているのがまた辛い。 「……となれば、いかが致しますか。これからの事は」 「先の戦に足らなかったのは、的確な兵の配置と使いこなすに足る条件を整える労力、そして策たりうるものだ。これは既に用意してある。 ――それと、擁護はしてきたが、オーダインに対して敗北の責を負わせぬわけではない。少なくとも南部指令の座は下ろす。今は状況次第で退却中の兵も有用に使わねばならんから、他の処罰は後に追って下すことになろう」 ミシェイルの下した判断に諸将・諸侯の浮かべる表情はざっと判断すれば不安半分、不満半分といった様子だった。オーダインの所領の多くが同盟軍に奪われている事を知るわずかな人々が気の毒そうな顔をするのも見える。 だが、ただひとり何の感情も表に出さず、平静を保つ存在が諸将の中にあった。面立ちのみを一見すれば文官のようにも見える五十絡みのその人は、司祭の装いを謹厳な印象をもたらす工夫をしてまとめている。 魔道部隊長を務めるバセック伯爵だった。 彼は公人であるどころか、私人であってでさえも人にも自分にも厳しく、動揺を他者に見せない事でよく知られている。血族、しかも親子の間で立て続けに、王家に対する非礼を演じるという失態に見舞われてしまった人だったが、それすらも元から持ち合わせた厳しさで骨肉の戦いをも辞さないと宣言して批判の目を退けさせている。そのため、この威厳がもたらす影響力は却って増したと評する者すらいた。 加えて、僧侶の出自を持ち、その道義が基になっているのか常に中立然としている。そのせいか、他の臣下と比べると浮いているように見えるが、これは単なるミシェイルの印象に過ぎず、これまで伯爵本人の忠節は全く問題がない。 王としての成り立ちのせいで、はっきりとした服従の気配が見えづらい人間にはそう感じるのだろうとミシェイルは考えている。この印象が続いているのを確認する度に自分の瑕疵も確認させられているようで、内心で苦笑したものだったが。 ミシェイルは臣下の反応を見届けると、一同に向き直った。 「言った通り、同盟軍は綿密な策を施さぬまま勝とうとするべき相手ではない。よって、これからは俺自身が全方面の配置と作戦に携わる。俺に指名された者は前に出ろ」 有無を言わさぬ様子で言い放ち、大きな机の上へ小者に地図を広げさせる。地図上の都市や街道、あるいは軍事的な効果で重要な地形を指して人を呼ばわり、そのひとりひとりに小者の手から書簡が渡る。 そうした事が数十人――王都に残る諸将以外の面々全てに行われ、ミシェイル自身の口で全ての流れを説明し始めた。 第一の段階としては、同盟軍の侵攻阻止として各地の領主軍と正規軍が戦線を張って要所を守る。先日奪われた城を取り戻すのは、小規模な戦闘を繰り返す中で敵を山岳の地形まで誘い込み、いくつかの部将を倒してからとなるが、二ヶ月耐えて冬に入ればそれだけで同盟軍には不利となる。南国だから寒さで潰すことはできないものの、勝手が変わる事には違いない。そこで仕掛ける事もできるはずだった。 最後にミシェイルは演説の段に上がった。 「マケドニアの王族でありながら、ミネルバは同盟軍を引き入れてマケドニアの国土と誇りを売り払い、アカネイアに臣従しようという。戦の苦境が訪れようとも諸君らはマケドニアの正義を失わず、また志同じくする者達を励まして危機を乗り越えよ。 国を守りきるにはここが正念場だ、諸君らの活躍に期待する!」 「ははっ――!」 マケドニアの重臣達が一斉に頭を垂れ、ミシェイルは軍議の散会を宣言した。 その身を即座に翻し、ミシェイルは城の廊下を自ら急かすように進む。 彼が向かう先は執務室ではなく、この非常事態に向けて作らせた作戦室だった。 各地の情報を集め、いかに対応するかを決めるための場所で、おおよそはミシェイルの独断で動く。諸将や謀略に長けた者を入れる事も考えたが、先日の敗戦で策を他者に委ねる危険をより意識するようになり、竜騎士団の誇る情報収集力を信頼の核と定めた。 作戦室の入口にさしかかると、『親衛隊』として脇に立つ青年が表情を変えずに敬礼する。 その様子はいつにも増して切迫しているように見えた。 「どうした、そんなに厳しい顔をして」 「我ら陛下の御為、命の最後の灯火までお仕えする所存。――この思いが囚われの身となった同胞に届けばと願う次第です」 ミシェイルに近い世代の貴族の子息が中心となって『親衛隊』は構成されている。その中には正規軍に所属している者も多数おり、先日の初戦に向かった中にも何人か含まれている。 誰が敗走し、誰が無念にも死したかミシェイルは把握していた。そして、誰が捕虜になったのかも。 親衛隊に所属していながら彼らが捕虜の身に甘んじている事をこの青年らは嘆いているのだろうが、ミシェイルは励ますように声をかけた。 「その者が俺への忠節を失ったとは思わぬ。いずれ戻るための方策だろう」 貴族ほどにもなれば、条件が付加されるが身代金を払えば、捕虜の身から帰還する事は比較的容易である。 それで納得したのか、心得ましたと青年は頭を下げ、周囲を警戒する自分の任務に戻った。 その様子を横目にミシェイルは作戦室に入り、机上に置いた国内の地図に目を走らせる。 この数日でミシェイルとミネルバによる最初の綱引き――勢力争いの結果が目に見える形で現れる。 初戦に破れたとはいえ、マケドニアでのミシェイルの影響力は多大であるはずだが、占領下付近の南部領主の中には日和る者も出てくるだろう。この戦になる前に離れた者共との繋がりも無視できない。敵味方両面の意味で。 そして、地理的な問題や領主の影響力とは別に、ミネルバは天馬の産地として名高い西部の高地を意識するはずだった。この地は国の持ち物であり、城代が叛する事はまず有り得ないが、ペガサス三姉妹の出身地を無視するとは考えづらい。 現状でできる事として三姉妹の親族を押さえるという手もなくはないが、三姉妹がミシェイルについている『親衛隊』以上の情熱でミネルバに仕えている実態を考えると逆効果になりかねないし、何もしなければそれはそれで勝手に警戒の意味を持つと考える可能性もあると考え、そのままにしている。 場合によっては今ひとつの反対勢力になりそうだったのが、最初の反逆者であるマチスが関わるバセック伯一族だった。が、こちらは元々大勢がミシェイル寄りであり、一見中立を保つ伯爵自身もこの件に関しては積極的で、裏切り者の息子を廃嫡して討伐の姿勢を見せている。 別の要素として、近いうちに伯爵の養子となって後を継ぐと見られていた伯爵の甥・アイルが先の戦いに出陣して捕虜になっている。他愛なくやられたものと思いはしたが、それ以上責めるつもりはない。竜騎士以外の者に対して「圧倒的な強さ」はミシェイルが殊更強く求めるものではなかった。 ただ、先の親衛隊士へ話したように身代金と引き換えに帰ってくるかというと、その確率は一、二割程度だと踏んでいる。公私共々謹厳さで知られる伯爵は、アイルの出陣に当初は反対し、熱意の強さを見て送り出しはしたが、自分の始末は自分でつけさせる誓約を取りつけるくらいの事はしているはずだ。 ある感慨に思い至り、ミシェイルの口から突いて出た。 「正に血で血を洗おうとしているな。この国は……」 自嘲めいて呟くのは、その最たるものが自分達であるせいだろう。 アカネイアの支配から抜け出すためには父親の血だけでは足りず、妹のそれも統治の礎にしなければならない。皮肉な事だった。 |