九月初めの夕方、マチスの元に珍しい客人が来た。

　案内されてきたのは、茶色の髪を結い上げて魔道衣に身を包む、アカネイアの魔道士リンダである。

　マチスの認識では知人以上友人未満の間柄で、今までに互いを訪ねたことはなかった。ノルダの一件はもはや心配することもなさそうだと踏んでいたため、余計に目的の予想がつかないでいる。

　挨拶を終えると、リンダが切り出してきた。

「以前、星のオーブの話をした時、偽物だったのではないかと仰ってましたよね」

「もうそれくらいしか考えつかないからなぁ」

　他にあり得る線としては、マチスがオーブの祝福から外れた存在、というくらいだが、それがわかったところであまり気味のいいものではない。

　だが、リンダの話はそれとは違う結論へ向かっていった。

「わたしもあの時はそう思ったのですけど、修行をしていたら、星のオーブにまつわる話を思い出したんです。
　星のオーブには人の命運に関わる十二の宮サインが浮かんでいて、それぞれに違う意味が込められていました」

　と、リンダは何行も書きつけのある紙を取り出して、マチスの方に見せた。

『星空の祝福は宮サインによって成され、何者の例外もない――。
　其の祝福は命運の十二宮と深く結びつく。

　牡羊座アリエスは是という時の幸運に見舞われ
　牡牛座タウルスは微かに全ての可能性が開かれる
　双子座ジェミニは品格を代償に多面の才に恵まれ
　蟹座キャンサーは鉄壁の守りを持つ
　獅子座レオは世に憚らぬ王者の力を持ち
　乙女座バルゴは自己犠牲の聖者なり
　天秤座リブラは速き決断力を持ち
　蠍座スコーピオは地道な闘士の魂を持つ
　射手座サジタリスは弓の名手にあやかる巧者であり
　山羊座カプコーンは矜持の精神を持ち続ける
　水瓶座アクエリアは戦う者の具現者であり
　魚座ピスケスは守る者の具現者である』

　一通り目を通したマチスが、ぽつりと呟く。

「なんか、随分ばらつきがあるんだな」

　少年時代のマチスが触った時は、霊験あらたかな宝珠という触れ込みだった。魔道の才能を伸ばそうとしたのに、牡羊座や射手座だったら期待していた効果は全くないということになる。

　もっとも、五月初めの生まれであるマチスは牡牛座だから、伸びる才能がほんの少しではやはり浮かばれない。

「これの通りだったら、おれの時はわからないくらいにしか影響しなかったって事なんだな」

「そうと取れないこともないですけど、精霊感知の力を授かったのがこの時だったんじゃないかと思うんです」

「……あの、わけのわかんないやつが？」

　オレルアンの草原では風の精霊が来る直前にかすかに聞こえた気がして、ノルダでは熱線に焼かれそうだった部下を手が勝手に突き飛ばしている。

　特に風の精霊に関しては必中の魔道をかわす可能性があるとして、さんざんウェンデルにつかまっていたが、普通の魔道相手には何の働きもない。当てにしたい時には役に立ってくれた記憶のない困りものだった。

「こう言っては何ですけど、この記述はかなり忠実に書かれているみたいです。『微かに』と書かれているのは、本当にその通りのようですし」

「でも、まさかこ〜いう事だとはなぁ……」

　魔道の修行には失敗しているから、親からもらった才能とも思えなかったが、苦し紛れの行動がこんな結果を生んでいたとは世の中わからないものである。

「ま、生まれつきの力じゃなかったっていうなら、その方が有り難いか」

　ウェンデルは戦争が終わったら是非カダインに来てほしいと言っていたが、これでどうやら研究対象にならずに済むと思って良さそうだった。

「でも、これを知らせるためだけに、忙しいのにわざわざ来ることもなかったんじゃないか？　手紙で充分だろうし」

「そうなんですけど……これは、巡り合わせだと思うんです。だから、直接言いたくて」

「妙な力を持っただけで終わりじゃないって？」

「はい」

「…………」

　妙に自信たっぷりな断言に、かえってマチスの方がたじろいでいた。

　何を言われるのかとあまり予想もしたくなかったが、黙って発言を促す。

「星のオーブは特別な物ですから、一生のうちに触れることができる人はそう多くは居ません。かなり限られていると思います。
　そして、今は様々なものが入れ替わる『変』の中にあります。――簡単に言えば、戦争がそうさせているのだと思ってください。
　その『変』の中で、微かにでも全ての可能性が開かれる祝福を受けているのだとすれば……上手くは言えないのですが、何かが起こせる気がするんです」

「何か、ねぇ……」

　真剣な顔つきでリンダが話していたのに対し、マチスはそれに応えるほどの真摯さで受け止めることはできなかった。

　間近にマケドニア戦という大一番を控えてはいるが、勝とうとか血縁と決着をつけるとかそういった事以前に、自分の部下になってしまった人達がどうやって終戦まで生き延びることができるだろうかと、考えてしまうのはそればかりなのである。

　加えて、ひっかかる点もあった。

「そもそも、おれが魔道を使う貴族の家の出だから星のオーブに触ったわけで、平民の生まれだったらそういう縁もなかったんだろ。
　……なんか、身分でえこひいきされてる気がするよ」

　自嘲めいて言ったが、リンダが首を傾げる。

「そうかもしれないですけど、マチスさんが普通に魔道の修行を終えていたら、星のオーブには触れていなかったのかもしれないですし」

　言われてみれば、それはそれで正しいように思える。

「そ〜いうのが巡り合わせってやつか……。
　そういや、リンダはずっと修行で星のオーブ使っているんだろ。やっぱり、そういう傾向が出てるのか？」

　単純な好奇心での質問だったが、リンダは顔を曇らせてきた。

「わたし、水瓶座なんです。それに、オーラの魔道書を継いでいますから……」

　言って、俯いてしまう。

　どういうことかと、さっきの紙をたどっていく。

　水瓶座アクエリアは戦う者の具現者

　当たるものだなぁとマチスは感心してしまったが、リンダはまだ俯いていた。

「……何か悪い事言った？」

「戦いから逃れられないみたいで、ちょっと気にしているんです。父の仇を討ったら、オーラはもう使わないでおこうと思っているのに」

「そりゃ……嫌な事思い出させちまったな」

「でも、いいんです。そういう必要に迫られていますし。父の仇を討つには普通の女の子じゃ無理ですから」

　そういえば、リンダにはそういう事情があったかと思い出す。と同時に、仮にも自分は父親と戦おうとしている事も思い出した。

　気まずい思いをさせる前に、星のオーブについて教えてくれた礼を言って席を立った。リンダも立ち上がったので外まで見送ることにする。

　そのさなか、リンダがふと口を開いた。

「言い忘れてましたけど、わたしもマケドニアの初戦に参加することになったんです」

「じゃあ、また助けてもらうかもしれないな。おれのとこは人数少ないから」

　やがて宿舎の玄関口まで着くと、そこには見慣れた、しかしこれまた意外な顔が壁際に立っていた。アリティア騎士カインである。

　しかし、来ていたのなら来訪のしらせがあったはずだ。他の客が来ていても、そういう事は知らせてもらうようにしているのだから。

　取次ぎの従者が頭を下げる。

「すみません、用件が終わるまで知らせないでほしいと希望されたので……」

「まぁ、そりゃいいんだけど、別にそこまで気を使わなくてもいいのに」

　半ばカインに向けて言ったところ、妙な答えが返ってきた。

「そういうわけにもいかないさ。呼び出したら形にならない」

「ん？」

「マルス様の命令で、マケドニア戦の間、俺が率いている騎兵千共々あんたの指揮下に入る事になった。ま、部下になるわけだな」

　なりゆきで聞いていたリンダが目を見開いて驚いていたが、マチスの受けた衝撃はそれどころではない。

　頭がカインの科白を受け入れかねていた。

「冗談だろ……？」

「冗談ならここまで仕込まないな。聞いた時は俺もどうかと思ったが、事情が事情だから仕方がない」

　その『事情』とやらをかいつまむと、オレルアンを刺激しないようにアリティア兵を追加しようとしたマルスの苦肉の策だった。解放軍マケドニア勢の所属にすることによって、手柄を上げたとしてもアリティアには寄与せず、解放軍マケドニア勢、あるいはマチスのものになるのだという。

　なお、他の有能なアリティア騎士は聖騎士の称号を持っているため、騎兵でこの役目ができるのはカインのみ。他の兵種ではマルスの都合に悪く、消去法でこの組み合わせになったのだった。

「じゃあ、実際はアリティア王子の命令で動くわけか？」

「そうじゃない。あくまでも指揮官は……そうか、呼び方も変えないとな」

「いいよ、変えなくて。だいたい、そんな数持たされても使いこなせねえって」

「その辺はどうにかする。ミネルバ王女にも許可は取ってあるらしいから、この決定は覆らないだろうな」

「……さいですか」

　もはや多くを言い返す気力のないマチスの横に立っていたリンダは、悩みつつ呟いていた。

「これも、『全ての可能性』なのかしら……」