「Noise messenger[1]」 1-2:6 |
* 解放軍の行動は拙速の要素を持つほど急なものだった。 前線の騎馬隊が押し寄せるように城へ接近すると、後退していたマケドニア側は元黒騎士団と魔道隊が迎撃すべく展開する。 解放軍が前方と両翼を押し包もうとする一方で、マチス隊は遊撃の力を借りて敵の魔道隊を目指した。 元黒騎士団の後方で照準を合わせていたアイル達の前に、二百の騎馬隊は姿を現す。 魔道の洗礼が来るかと思いきや、マチス達の旗を見た敵方は動揺していたようだった。 その中で、ひとり冷静に進み出た指揮官がいる。レナとの血の繋がりを感じさせる端整な顔立ちに品の良さと洒落た雰囲気の融合した――簡単に言えば、どこにいても女からモテそうな色男がそこにいた。マチスの周囲から思わず唸るような声が聞こえたのは、その外見に関してだろう。 その色男、アイルはマチスを見据えながら魔道衣に手をかける。 「ミネルバ殿下では過ぎた獲物だったから驚かされたが、家の裏切り者たるお前を葬る事ができれば僕はそれでいい。騎馬騎士としてもひとり立ちできなかったと聞いていたから、もっと前に死んでいるとばかり思っていたが」 そらそうだろうとマチスも頷かざるを得ない。解放軍があんな強い連中の集まる軍勢でなかったら、ここに辿り着く前にアイルが予想した通りの結末を迎えていたに違いない、おそらくは。 しかしこうなると、誘い出しという流れではない。 その場でアイルが魔道衣を取り払う。 「お前にはバセック一族の魔道を使うまでもない。僕の剣で充分だ」 魔道士であるアイルからこう言われては侮辱以外の何物でもない。だが、マチスは怒りではなく抗議の声を上げた。 「お前、剣も結構やってただろうが」 「これは僕の私怨でもあるからな。 「相変わらず、自信があるっつーか、何というか……」 鼻持ちならない、というのとはちょっと違うような気がして口ごもっていると、アイルが睨んできた。 「今、どういう状況かわかっているんだろうな」 「ろくでもない奴を倒そうとしている奴がろくでもない奴の前で突っ立っているんだろ? 最後に話ができただけ運が良かったんだよ、おれらは」 言いながら、馬から下りる。 剣も槍も扱いに自信はなかったが、ここで槍と馬を持ち出せばまたうるさい事になるのは確実である。だから、剣で向き合うしかない。 アイルの剣技を見たことはなかったが、あれだけ言うのだから趣味の領域では終わらないだろう。ここは味方が前衛の元黒騎士団を早々に負かしてくれるのを願うしかなかった。 マチスはレナに見せた鋼の剣――ほとんど使っていなかったのは護身用だったせいもある――を携えて、剣の間合いから少し離れた場所に立つ。 鞘払いの音を互いに発した次の瞬間、早くもアイルが斬りかかってきた。 正面からの一撃を受け止め、すぐに守りの構えを取る。 続けざまに攻め込まれるのを凌ぎ、マチスから一撃を仕掛けようとするが、その瞬間にアイルの攻め手が見えてまた守りに転じた。 鋼の剣自体が大振りな剣撃になりがちなのでその後の隙が大きすぎるため、攻撃を外したら全てが間に合わなくなる可能性が高い。 防戦一方になりがちなマチスの剣は、アイルに圧されていた。魔道士でありながら剣の扱いに手慣れているだけではない。元から実力の差があるのだ。 その上、マチスは実戦の数はさほど多くない。アイルから放たれる幾度の剣撃に対して自分の剣で防いでいるが、数を重ねるごとに合わせる間合いは遅れがちになっていた。 まずいな……。 死を意識する瞬間など戦場ではいくらでもあったが、今回はそれが微妙な揺らぎを伴っていた。 嫌というほど顔を知っている従兄弟に殺される――考えていない可能性ではなかったものの、容赦のないそれというよりもどこか霞めいたものさえ漂っている。 剣を受けるだけで他の事に全く手を伸ばせない、この閉じられた状況は何となくその霞に似ていた。 手にした鋼の剣がひどく重くなっている。いや、そう感じる。 いざという時の武器ではなく、もっといい剣を持つべきだと言われたこともあったが、部隊で自由に使える金が少なかった事もあって、安価な割に一撃さえ決めればその場を凌げるこの剣を持ち続けていた。武器の質を追い求めるような性分ではなかった、というのもある。 だが、いい選択とは言えなかったようである。 回数が重なるアイルの剣の前で、凌ぐ力もかなり削られつつあった。 踏み込まれ、剣が迫るごとに黒く描かれる刃の軌跡が問いかけてくる。 他を脅かし、凌駕できないその身で生きる理由は何か? 十数度目かの剣を受け止める音が、今までよりいくらか鈍く響く。 何かの道筋に対してまっすぐ生きてきたわけではない。そもそも、道筋そのものが曲がりくねっている。 理解し だから。 マチスは荒れる呼吸で上がる肩を必死で静め、向かってくる剣へ自らの鋼の剣を力一杯振り抜く。 「邪魔されるわけにはいかねぇんだよ!」 衝撃を受けたアイルの剣の アイルが咄嗟に剣を構えて左へ逸らすも、マチスの切っ先はアイルの右目と顔を切りつけていた。 背中から倒れたアイルへ、マチスはわずかな逡巡の後に剣を突きつける。 血に染まる顔を苦痛の表情で押さえつつ、アイルが口を開く。 「こんな日が来るとはな……。この命、乞うものではない。眼だけなどと中途半端にせず、斬れ」 魔道士でありながら、まっとうな武の意識を持つアイルらしい言葉だった。 だが、止めた剣は動かせなかった。それがマチスの思いだった。元より誰かと戦いたいわけではない。 アイルは従兄弟と呼ぶにはあまりにも外見の共通点が少ない、どちらかというとあの六年間で気兼ねなく気晴らしができる友人のような間柄だった。 「僕が身内だからためらっているのか」 「血が繋がってても関係ないな。身内でも敵は敵だから。 「……確かにな。だが、マケドニアが負けようものなら、僕は死を選ぶかもしれんぞ」 「それはあんたの意思だ。止めやしねぇよ」 言って一歩踏み出し、マチスが真上から見下ろす形になると、アイルは剣を手放した。 解放軍の兵士が駆け寄ってアイルを捕虜にして連れ去るのと、マケドニア軍が マチス隊の面々は珍しいものを見たと言わんばかりの反応だったし、駆けつけてきたミネルバ配下の竜騎士やアリティア騎士は賞賛を送ったが、当の本人は浮かない顔だった。 力で訴えればその時は勝てても、後で必ずそれを力で捻じ伏せようとする輩が現れるはずである。マチスの場合は自らの力が小さいと自覚しているから、こんな形で勝ってもちっとも充足しなかった。アイルを打ち破れたのは、剣が脆くなっていたからに他ならない。 ふと、レナとのやりとりが脳裏に蘇った。 武器を修復するハマーンの杖。直接の祝福こそ貰わなかったものの、気持ちは本当に伝わっていたらしい。 ろくに使っていなかった鋼の剣が勝ったのは、アイルが愛用していた剣より丈夫だったからに過ぎないのかもしれないが、そういう力も働いていたような気がする。 とはいえ、レナに直してもらうにはこの剣は安価に過ぎる。あまりにも申し訳ないので適当な時に交換しておこう、とそんな事を思ったのだった。 |