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「HARD HEART」(後編)1-2






 アリティア軍本陣、マケドニア捕虜兵が収容されている天幕の中でアリティア王子マルスの語る声が響きわたっている。

「――昨日まで敵同士だったもののわだかまりを解いて、いきなり一緒に戦ってくれというのも無理があると思う。けれど僕らは……」

 ついさっきまでこの場はちょっとした混乱の中にあった。マチスが寝返ったことで捕虜兵から反発の声が出て、なかなか収拾がつかなかったのである。

 そこで、マルスやカインあるいは他のアリティア軍兵士達がどうにか場を持ち直してこの演説のような説得を行う段になったのだった。

 その時非難の集中砲火を浴びたマチスは、今は彼らを刺激しないように天幕の端、入口近くに腰を下ろしている。レナと見張りだか警護だかをマルスから仰せつかったカインが両脇で座っている。

 握手をした後は坂を転がり落ちるようにアリティア軍に引き入れられ、マチス本人にも強引なやり方だと思う感は強かったのだが、さほど不満はなかった。元々マケドニア王家に対しての忠誠心などかけらもなかったから、裏切ることそのものに抵抗はなかったのだろう。

 もっとも味方だった人間に刃を向けるのは気が引けるし、本音としては殺し合いなどしたくない。だが大陸中が戦争の只中にあるのだから、それは許されないだろう。アリティア軍に入ることがマチスの考えに則しているかというと疑問符がつくが、捕まった状況で下手に抵抗して殺されるのもつまらない話だった。

 生かしてくれるだけでもありがたいと考えるのが前向きなのだろう――そう思っているところに、カインが小声で訊ねてきた。

「さっきの騒動で思ったんだが、随分と彼らに嫌われていないか?」

 国を裏切ったのだから仕方のないこととはいえ、捕虜兵がマチスに浴びせてきた言葉は辛辣だった。不忠者だの、所詮は廃嫡されたうつけだの、地位目当ての売国奴だの、痛いところに当たれば心が大怪我するものばかりである。

「そりゃあ、ミシェイル王子の事は絶対に王様呼ばわりしねぇし、貴族から『落ちた』からねぇ……」

 マチスが騎馬騎士隊に放りこまれた本当の理由はレナが失踪したからだが、これは表向きには明らかになっていない。誰かが真実を口にする前に、反ミシェイルの立場を長くとっていたことでとうとうミシェイルの逆鱗に触れて、それで貴族の身分を剥奪されたのだという噂が立った。それは一気に広まり、一般解釈として認められてしまったのである。同じ時期にミシェイルとレナの婚約の話が立ち消えになり、それはマチスのせいということになっている。普段の行いが悪いと言えばそこまでだが、当のマチスからすればこうも不自然に責任を押し付けられては迷惑甚だしい。

「ま、騎士を名乗ってる連中には目障りに見えるんだろ。でもあいつらを説得するって言っても、国が大事の連中だから難しいと思うんだけどな……」

「騎士というものはそういうものだからな。いきなり寝返りを打てというのが無理な話なのは承知の上だ。我々が戦力的に苦しいことを露呈するようだが、仕方ない」

 中央の方に居るマルスの話に耳を傾けると、この戦争は人間と暗黒竜との戦いなのであって人同士で争っている場合ではないという内容に入っていた。

「個人的に気になったことがあるんだが、いいか?」

「何?」

 と、マチスが肯定の意味で返すと、カインは話すトーンを変えてきた。

「聞いた話なんだが、あんたは昼間の戦闘でマルス様と直接戦ったんだろう?」

「まぁ……そうだけど」

 戦ったというよりは、ほぼ一方的にやられていただけと言った方が正しい。

「よく生きていられたな。マルス様は一度捉えた敵は逃さない戦い方をするんだが」

 そう言って、カインは感心するように深く息をついた。

「……投降を持ちかけられたけど?」

「そうなのか? じゃあ、聞く耳を持つようになってくれたのかな。ともかくマルス様の戦い方というのは、徹底的に敵を壊すようにする傾向がある。標的になった者を逃がそうとしないし、以前に逃れられた者もいなかった」

 以前に何か問題があったかのような言い回しである。

 しかしそれだけの相手に新兵同然のマチスが生き残れたのは、右肩をやられたおかげということになる。ある意味では幸運だったわけだ。

 それにしても、カインが言う以上に本当によく生きていたのだと思う。

「そのマルス様と戦って生き残ったのもひとつの縁なんだろうな。改めて、よろしく頼む」

 カインが軽く頭を下げた。

「……今度は握手じゃないんだな」

「二度やったら警戒されると思ってやめておいた。俺も強引なやり方だとは思ったが、こういう時は強引な程いいからな。もっとも、最初に限るが」

 言われると何だか釈然としないものがあるが、事実である。とはいえ、執拗に気にする程のものでもなかった。

 思い返せば、敵軍の人間相手にカインは堂々とあそこまでやってのけたのである。十八、九の青年に見えるが、こんな役をかったのだから、快活そうな見かけ通りの人間ではないのかもしれない。

 そう思って問いかける。

「そういや、あんた、この軍じゃどういう人なんだ?」

「どういうとは?」

「おれより若いけど、あの王子さんの近くにいるってことは副官とかそういう結構なお偉いさんなのかなと思って」

 言われたカインが真顔になる。

「俺が……副官?」

 明らかに否やの返事である。

「いくらこの軍が総勢二百そこそこだからって、十八の若造に副官をやらせるほど人材に困ってないさ。……まぁ、いつかは戦場での右腕と呼ばれる存在になりたいとは思っているが……だが、今の俺はマルス様の一信奉者に過ぎん」

 思わずマチスの身が固まった。

 言うに事欠いたわけではないだろうが、よりによって信奉者とは、あまつさえそれにしか過ぎないというのは、あまり覗きたく込みたくない世界である。

「……そういうことを、自分から言うか?」

 と言うと、カインは眉根を寄せ、

「俺にそういう気持ちがあるのは確かだからな。もっとも、本音で皮肉る奴もいるが、マルス様はそれを知っているしうまく利用している。で、利用される俺がこれを喜びにしているから……やっぱりたちが悪いか」

と言った。開いた口が塞がらないとはこの事である。

 どのくらいそうしていたのかはわからないが、カインがふと思い出したように別の話題を口にしたところで、我に返った。

「あんたの名前、貴族の子弟につけられる名前にしてはずいぶん変わっているな」

 思わぬ方向転換だが、この質問自体はかつて多くの初対面の人間にされたものである。

 この大陸でマチスという名前の著名人に八十年ほど前のアカネイアの画家がいる。代名詞として使われることがしばしばあるのだが、そこそこに過ぎなかった彼の絵の評価よりも、どちらかというと飲んだくれという印象で使われることが多い。だから貴族に限らず、つけられる名前としては敬遠される傾向にあるものと言えた。

 ちなみにその名前をつけられたにもかかわらず、マチスは絵を描く趣味を持たなかった。謹慎状態の時に一度だけ絵筆を取ったものの散々な出来だったことから、家の血統どころか名前とも反りが合わなかったのだと思ってすっぱりと諦めたのである。別段、悲愴な意味合いではない。

「まぁ、変わってるっていえば変わってるんだけど、この名前は嫌いじゃないんだよ。なんでつけられたかって訊かれても知らないから困るんだけど、魔道士にあやかった名前をつけられるより百倍ましだから、それでいいんじゃねぇかって思ってる」

「魔道士か……。初対面の俺が言うのも何だが、向いてなさそうな感じだものな」

「嬉しいこと言ってくれるね」

「もっと言えば、あんたは貴族らしくないよ。本当なら、騎士身分にしか過ぎない俺は畏まるべきなんだが、その気が起こらない。あ、いや、悪い意味で言ったんじゃないんだ。話をしやすいということだから、かえって長所になるだろう」

 貴族はお高くあるべきだとさえ言われることも多々あるのに、カインの考えは騎士の中ではかなり柔軟なものだった。マルスに近しいように見えたから、難しい立場かと思っていたのだが、案外そうではないらしい。

 マチスは過去の例を省みて肩をすくめた。

「大体、そういうのは悪いように取られてたんだけどな」

「いや、そうでもないぞ。多分、素朴な人達には受け入れられるだろう。見ている人は本当によく見ているものだ」

「それが本当だといいんだけどな」

 言葉は半ば否定的でも顔は笑っていた。

 だが一旦話が途切れると、マチスは深く息をついてこめかみを押さえた。

 一番大きな怪我は治してもらったが、体力が追いついていない。今までは話していて気が紛れたがただ遠いところの話を聞くだけの側に回ると、眠気が襲ってきた。眠らせてもらえれば一番いいが、演説中ではそうはいかないだろう。

 その様子を見たレナが水を持ってきますと言って立ち上がろうとした時、軽鎧を着けた少女が天幕の入口に現れた。元は長いのであろう青い髪を頭に巻きつけて、固定するように結い上げている。歳は十四、五だろうか。

 場を窺っていたらしいその少女は、近くにいたカインに小声で話しかけた。

「マルス様、どうされたの……?」

「目処を立たせるために、捕虜になったマケドニア兵を説得しているんですよ。シーダ様こそ、どうかなされましたか?」

「偵察の結果を報せに来たの。……本当は終わるまで待っていようと思ったのだけど、やっぱりお耳に入れておきたくて」

「その様子ですと、敵襲の報せではないのですね」

「えぇ。一応、ジェイガン卿には伝えてあるから大丈夫だと思うけど……でも、ちゃんと報せておきたいから、ここで少し待つわ」

 シーダがするりと中に入ってくる。

 結い上げるにしては変わった髪形をしているとは思ったが、体にぴたりとつくような形の鎧をまとっているのを見て、それも納得がいった。普通の鎧は厚い装甲を張り出すようにして体を守るように作られているが、この軽鎧は天馬騎士が愛用する型で風の抵抗を受けないことを最優先にしており、見た目は地味である。髪もただ結っているだけでは風でなびいて邪魔になるから、あのような形になっているのだ。

 じっくりと観察していたわけではなかったが、赤の他人が見てきたのが不快だったのだろう。シーダが顔を強ばらせてマチスに顔を向けた。

「わたしが、どうかしましたか?」

 思わぬところで喧嘩を売られてしまったが特に怒らせないようにとは考えず、思った通りの事を返す。

「……いや、マケドニア以外にも天馬騎士がいるんだなって思って」

 マチスの答えに、強ばっていたシーダの顔は一転して晴れ晴れとしたものになった。

「天馬騎士のことを知ってるの?」

「マケドニアの軍隊にはそういう恰好した騎士がたくさんいるから」

「あら、天馬騎士団のことね。わたしの場合は結構独学が入っていたから、『本場』がどういう風にしていたかわからなかったんだけど……じゃあ、間違ってなかったのね。良かったわ。
 でも、普通の男の人ってわかってくれないのよ。変な恰好だとか、脚を見せるくらいいいだろとか、もっと派手にしてみろとかって陰で言ってて、失礼な話よね……って、ごめんなさい、初対面の人に愚痴なんか言っちゃって」

 と、ここまで一気に喋ったところでシーダはある事に気づいたようだった。

「あの……こう言うのはおかしいと思うのだけど、あなた、マケドニア軍の方?」

「一応は」元捕虜というおまけもついている。

 シーダがマチスの両脇にいるカインとレナを見て、困惑する。

「でも、どうしてカインとシスターが……?」

「シーダ様、この人はわたしの兄なんです」

 今まで聞き役に回っていたレナが早口で言い添える。

「マケドニア軍にいて、昼間の戦闘でマルス様と直接戦って右肩の骨を折ってここに収容されていて、加癒リライブの治術を施す時に兄と気づいて……マルス様にお願いして、助けていただきました。
 兄様――兄さん、この方はタリスの王女、シーダ様です」

「王女?」

 若干怪訝そうな言い方になったが、当のシーダは気にしていない様子で首を振った。

「この軍ではわたしはひとりの天馬騎士なの。だから、気にしないで。それよりも、機会があったらマケドニアの天馬騎士の話を聞かせてくれると嬉しいわ」

「まぁ、おれが知ってる限りでいいなら……」

 その続きを言う前に、カインに右肩を引っ張られた。

 耳元で実に小さく囁いてくる。

「やめておけ。真に受けて下手に親しくなると、シーダ様を信奉している兵士を怒らせることになる」

 そう言われても、断るべき理由が見つからない。

 どうしたものかと思っていると、意外な救いの手が差し延べられた。

「人が懸命に誠意を訴えているのに、そっちは随分楽しそうにしているんだね」

 いつの間にいたのか、マルスがややげんなりとした表情で四人を見下ろしていた。

 総大将が演説をしているというのに、四人揃って話に興じていたのである。ばつが悪いなんてものでは済まされない。マチスを除く三人は叱責を覚悟して三人三様に顔を歪めたが、そうはならなかった。

 マルスはひとり呑気に構えていたマチスに向かって、意思を確かめてきた。

「僕らの側についてくれるってことは、できる限り僕らに協力してくれるってことだよね?」

「まぁ……そういうことだな」

 どれだけのことができるかはわからないけど、とマチスは心の中で付け足した。

「折り入って相談したいことがあるんだ」

「おれに?」

 マルスがにこりと笑う。

「相談というよりは、頼みなんだ。僕はここの人達を何としても味方に引き入れたい。これからオレルアンの王都へ向かっていくのに、たった二百じゃ心許ない」

「でもおれが言ったって、また反発されるだけだと思うけどな……。それに、ここの三十だけじゃ全然足りないだろ」

「説得そのものは僕らでどうにかする。数の方は確かに少ないけど、いないよりはずっといい。で、ちゃんと説得できたら、あなたに軍内の元マケドニア軍の人達の統率を任せたい」

「え?」

「負傷兵を収容した時はそんなことは考えてなかったし、あなたのように元でも貴族の人がいるとは思わなかったからそういうつもりはなかったんだけど、シスターから素性を聞いたら、その方がいいと思って」

 そういえば、そんな事をカインが言っていたような気がするなと思い出していたが、マチスはこの話は断るつもりでいた。

 できるはずがないのである。

「素性って……今は貴族じゃないって言ったはずだけど」

「だから返り咲かせるってその後で僕が言ったよね」

 マチスは不審そうな目をアリティアの王子に向けた。

「どうやったらそんな事ができるんだか」

「簡単だよ。誰かの後ろ盾を持って声高に名乗ればいいんだ。この場合、後ろ盾になるのは僕らってことになるね」

 軽い調子で言うマルスに、マチスは食ってかかった。

「そんなことをやったら、おれが気違い扱いされるだけじゃないか!」

「でも、元は貴族だったんだろう? で、さっきの騒動を聞いていると、どうもミシェイル王子の不興をかって身分を剥奪されたみたいだ」

 何だか向かっている方向がよろしくない。

「じゃあ、何か、おれは身分欲しさにアリティア軍に入ったことになるわけか」

 マチスの目が据わっている。

 声を落として、とマルスが言う。

「そうじゃないよ。ちゃんと理由がある。で、その理由っていうのは、マケドニアがドルーアと組んでこの戦争になったことをあなたが良く思ってないってことだ。これはシスターから聞いたんだけど、間違いないよね?」

「良く思ってなかったのはそうだけど、ここに入った理由じゃない」

「でも、僕らに立場が近いのは変わらないはずだ。だから、人間を支配しようという暗黒竜と人間が組むのはどうしてもおかしいと思うから、身分を剥奪された身ではあるけど、理の正しさをわかってもらうにはこうするしかないとか言って、ともかく立ち上がってほしいんだ」

 マチスは目をしばたかせる。

「なんで、そんなことをする必要があるんだ……?」

「この戦争はどう考えてもおかしいんだよ。さっきも言ったけど、人間の国が、人間を支配しようという暗黒竜に手を貸している事がね。マケドニアの兵士の中にもそう考えている人は結構いるはずなんだ。そのための受け皿になってほしい」

「そんなこと言ったって、おれの元の身分なんか伯爵の息子にしか過ぎないんだぜ?」

 マルスがひとつ頷いた。わかってると言わんばかりに。

「もちろん貴族相手には通用しないし、騎士にも難しいかもしれない。でも、一般兵にだったらうまく耳に通る。同じ国の上の方の身分の人にも、考えのわかる人がいるってね。
 僕の狙いは少しでも死ぬ人を減らすことなんだ。敵でも味方でも。今、降伏勧告なんか呼びかけても、こっちが二百しかいないから絶対に耳を貸してくれない。でも、昼間の戦いみたいに僕らの方が勝つんだ。そんなことをなくすには、数を増やしていくしかない。今はその段階のひとつとして、あなたに立ち上がってもらいたいんだ」

 説得力があるんだかないんだか、微妙な論理である。

「もっと、こう……効率のいい方法があるんじゃねぇの?」

「今の僕らには力がないんだ。戦いには強いけど、戦いたくない者を引きつける力が。戦いを避けるような手立てがあれば、できることはどんなことでもしたい」

「……」

 戦いを避けたいというのはわかる。人が少しでも死ななくて済むのなら、その方向を取っていくというのに賛成してもいい。この際、成功するなら、気違い呼ばわりされる覚悟を決めることはできる。

 しかし貴族になれというのはいただけなかった。

「どうしても貴族ってのが納得いかないんだけどな……」

「どうして?」

「必要性はわかるんだけど、おれはもう貴族に戻りたくないんだよ」

「でも、僕も譲れないんだ。実効性のない名前を名乗って、あとは人をまとめるだけなんだから妥協してくれないか」

「実効性がない?」

 マルスが口の前に人差し指を立てる。

 また声を落とせということだ。

「そう。実質上は身分は剥奪されているから何の力もない。もっとも、戦争が終わって僕らが後見する王から爵位をもらえばれっきとした貴族にはなれるけど、そうするまではあくまでも名前だけなんだ」

 逆に言えば、必ずしも爵位を与えられる必要はないということである。戦争が終わった後で逃げてしまうのは誠実な態度とはいえないが、その時までにマケドニア人でマチスの元の身分よりも位が高い人がいないとは限らない。

「名前だけ……か」

 しかし、この流れだとひとつだけまずいことがある。

 それに気づいて、マチスは嫌そうな顔をした。

「おれが、反ミシェイル王子の旗頭になれってことなんじゃないか?」

「そうとも言うね」

 あっさりと言ってくれるものである。

 マケドニアの精鋭、竜騎士団の姿がマチスの脳裏にちらつく。

 彼らに真っ先に狙われることの恐怖が、その身に襲いかかった。

「冗談じゃないぞ! そんな事できるか!」

「でも、ミシェイル王子に反感があったのは本当の事なんだから、それなら尚のこと立ち上がらないと。それに、戦争後のマケドニアを守りたいだろう?」

「……どういうことだ?」

「僕らが戦に勝ち続けて、例えばマケドニアを攻めるまで来たとする。でも、そこまで来た時点で高位の貴族が僕らに寝返っても、日和見に見られるかもしれない。そんな人に、戦争後の国の中枢を任せられるはずがない。そうなると、アカネイアの内政干渉が苛烈になると思うんだ。だったら、今の時点で二百しかいない僕らの軍勢に対して味方を申し出た、元貴族の人の方がずっと信用がおける。アカネイアや他の国だって、その行動は認めるはずなんだよ」

 名前だけではなく実質的にミシェイルの王権を倒し、その後は実権を握れと言われているのと同じだった。

 マチスは強く首を振った。

「駄目だ。もう権力のあるところには居たくないんだよ」

「でも、国の人達が苦しい思いをするんだよ。それに、権力のあるところって言っても人を踏みつけにしてしまうとばかり考えないで、それさえも変えてしまおうって思えばいいじゃないか」

 そんな事はできるだろうか。マチスの中でその疑問が渦巻く。

 できないできないと言ってばかりいては、何も変わらない。逃げと同じだというのはよくわかっている。

「変える……か」

「そう。どうせだったら、そこまでやってしまうべきだよ」

「……」

 マルスに乗せられている感は強い。これは本当の自分の意志かというと、そうではないだろう。そこまでの勇気は自分にはない。

 だが、借り物の勇気でも、人を救えるのなら迷わず乗るべきだった。

「……わかった。本当におれでいいのなら、やってみる」

 その一言で、五人を取り巻く場の雰囲気が明るくなった。

 マルスが深く頷いて、手を差し出してきた。

「本当の意味で、僕らはあなたを歓迎する」

 マチスは一瞬だけためらったものの、右手を出して握手した。

 ――これで、もう戻れない。自由への未練はあるけど、今はできることをやるしかない。

 強く頷き、傷に響かないようにそっと立ち上がるのをマルスの視線が追いかけてきた。

「どうするんだい?」

「あそこにいる連中を説得しなきゃいけないだろ」

「そうだけど……ずいぶん積極的になったね」

「おれは部隊の指揮なんかできないから、できそうな奴を引っ張っておかないとどうにもならないよ」

「待て」

 短く切り出しつつ、カインが素早く立ち上がる。

「今までは大事な話の最中だったから黙っていたが、もう我慢ならん。マルス様に対しては、その口ぶりを改めろ」

 さすがは信奉者である。

「いいよ。僕は気にしない」

 マルスがひらひらと手を振ってみせたが、カインは食い下がってきた。

「ですが、正式にアリティア軍の一員になったのなら、王子に対しては礼を取るべきではありませんか!」

「カイン。この人、貴族だったのに貴族らしくないと思わなかった? これはそのまま活かすべきじゃないかな」

「それはそうですが……しかし、それとこれとは別です」

「でも、この人、投降を呼びかけたのに逆に説教してきたくらいだから、よほど変わってるんだよ。下手にまともにしようとしないで、見て楽しむのが一番いい」

 マルスの暴言に、マチスは即座に言い返すことができなかった。

 さっきまで真面目な話をしていた相手のことを(しかも本人の目の前で)よくそこまで言えるものだと思う一方、あんまりな評価に返す言葉が出てこなかったのである。

 カインが渋々引き下がったところで、マチスは妙な感傷をひきずりつつ天幕の中央に向かってとぼとぼと歩きだした。

 三十人を相手にするのは疲れるだろうなと思っていたが、向こうは代表者を立ててきた。三十代半ばの頃合いで、左腕に包帯を巻いている。

 マチスとは別の隊の人間だったが、ボルポートという名前だったことは覚えていた。

 よほど居丈高に言われるのだろうと思いながら、彼らの前に座った。

「多分聞こえてたと思うから細かい所は省くけど、できるならおれに協力してほしい」

 ボルポートがわずかに身を固めた。

「生憎だが、裏切りを我が身に許すわけにはいかない」

 予想よりも穏やかな口調だったが、一歩たりとも譲らない構えでいるから、楽観はできない。

「裏切りっていうか……城に帰っても、また前線に送り込まれたら今度こそ死ぬかもしれないだろ」

「だからといって、復権の欲に目がくらんだ者の言うことを聞き届けるような間違いはせぬ」

 厳しい声音だった。

 だが、この程度で負けてはいられない。

「復権が目当てだったら、言われた時にすぐに飛びついていたはずだろ。違うか?」

「王同然のものになれるならば、深慮を見せ人品を疑われないようにしたくもなるだろう」

「なんで、おれがあんな無駄なものになる必要があるんだよ」

 血統だけを大事にし、贅沢をして生きる王族や貴族は、マチスの目には金の無駄遣いにしか映らなかった。そう思っているのに王になったとしたら本末転倒である。

 あるいは嘘つきか。

 ボルポートが眉をひそめた。

「無駄? だったら、誰が国を治めるのだ」

「親がいい為政者だったからって、子供がそうとは限らないだろ。だから、王っていうんじゃなくて、これって人をみんなで決めればいいんだよ」

「…………その支配者に、お前がならないという保証はないのではないか?」

 マチスは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。

「あんた、どうしてもおれをそういう欲の権化にしたいわけ……?」

 ボルポートも負けじと顔を歪めながら睨んでくる。

「そうでなければ、何故あんな話を受けたのか説明がつかぬ。十万に迫るドルーア側の軍勢と戦う覚悟を決めるのには、耳を疑うほどの恩賞を望まねばなるまい」

 ドルーア側の軍勢とは、マケドニア・グルニア・グラ・カダインの正規軍と傭兵がいてこれだけで八万を超え、加えて、マムクートと呼ばれ竜に変化することのできる竜人族がいる。僅か百人余りだが、ひとりで百人分の働きができるから一万を加算するといってもいいだろう。その上、彼らの頂点の多くは名将と呼ばれる者ばかりだから、数以上の力を発揮するに違いない。

 対する今のアリティアの戦力は二百で、王都の近くで奮戦するオレルアンの王弟ハーディンが率いる『狼騎士団』を加えることができても、二千には届かない。元は五千を誇っていた『狼騎士団』だが、戦争の間にかなりの打撃を受けていたのだ。

 数だけを言えば全くもって相手にならないのは明白である。

「勝てる勝てないって言ったって、おれらは数は多くてもアリティア軍に負けたんだから、やってみないとわからねぇだろ。それに、この戦争が終わったらおれは田舎の村かどっかで静かに暮らしたいんだから」

 ボルポートが呆れてため息をついた。

「それでは隠居老人と同じではないか」

 マチスは一瞬だけ笑って頷く。

「まぁ、似たようなもんかな。でもアカネイアが強い干渉をしてきたら、それどころじゃない。だから引き受けただけだ。おれよりももっとできそうだなって人がいれば、こんな疲れそうな役目はとっとと譲るよ。
 これで、納得してくれねぇかな」

「……もしその言葉が本当だとしても、陛下を裏切ることなど到底できぬ」

 やっぱりそうきたか、とマチスは小さく舌打ちする。だが、まだ引き下がれない。

「変な言い方かもしれないけど、あんた達みたいのだったら捕まる前に自分から死のうとしなかったのか?」

「オーダイン将軍から自決は禁じられている。戦争が始まる幾年か前、騎馬騎士団がまだ騎士だけのものだった頃に言われた。自ら死のうとするのは逃げでしかない。主君の後を追ったりするのはよく美談の種にされるが、それは違うのだ、と」

 当然ながら、騎馬騎士団長であるオーダインはマチスにとっても上官だった。男爵位が後からついてきた人だから、特に非難したことはない。いいところを探すには顔を見た回数が少なすぎたのだが、自決を禁じたと聞いて共感するものはあった。

 マチスはその意を噛みしめるように言う。

「将軍は、戦いに負けても死ぬって道に逃げないで、何があっても生きろって言ったんじゃねぇかな。死んだらそこまでなんだから」

「……それで、お前に従えと?」

「それだけじゃねえと思うけど。それが何かって訊かれてもわからねぇけど、敵の怪我人をわざわざ拾って治療したくらいだから、あの王子さんは何か他に考えてると思うんだ」

「……」

 ボルポートが押し黙った。

 マチスは、自分の方に引き込むという方向からは少し外れてきていると感じていたが、軌道修正する気にはなれなかった。

 さっきは意を決してマルスの提案を受けたが、何もかも気を張り詰めてやればいいものではない。そうしたところで、どうせ空回りするだけだろう。

 それに、自分の言葉がどう受け止められるのかをきちんと知るべきだと思っていた。今、マチスの元に誰もつかなくても、それも仕方がないというくらいに考えていたのである。

 やがて、ボルポートが頭を上げた。

「少し考えさせてくれないか。三十人が三十人、全く同じ人間ではない。考え方も各々違うだろう」

 それは、何かの含みがあるようにマチスには聞こえた。

 ……ともあれ、この話は一旦切り上げることになったのである。





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