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「HARD HEART」(前編)2-1




(2)


 湖に近い所で陣を張るアリティア軍の中で、鮮やかな赤毛をした少女が杖と薬を手に怪我人の間を回っている。

 一年前にマケドニアを出奔したレナだった。

 国王の結婚をふいにするという、マケドニアの大事件を引き起こした張本人だが、何から何まで一人で考えてやったわけではない。むしろ、ここまでやることなど思いもつかなかったと言うのが正しいだろう。結婚をしたくないという意思は見つけられたものの、結局はそのことを誰にも話せずに、ミシェイルの使者を迎えて正式に婚約してしまったのだから。

 だが、その一ヵ月後には、修道院にいた頃と同じ尼衣とベールを身につけて、ワーレン行きの船の上にいた。ミシェイルの許しはない。黙って婚約破棄をしたのだから、許可など得ているはずがなかった。

 事の始まりは連日行われる典礼の勉強の帰りのある日、いつも通りの迎えの馬車に、こともあろうかアイルが御者に扮して待っていたことにあった。

 何故かと訊けば、彼は「伯父上は人使いが荒いものですから」としか答えなかった。いつかのように招じ入れられるがまま馬車に乗って、前回よりも長く険しい道のりを進み、着いた先はマケドニアの最南端にある港町だった。

 わけのわからないままアイルに連れられて船の前まで行くと、以前に領地の屋敷で会ったルザが彼女を待っていた。

「この船はワーレンに行きます。わたしは伯爵様から命じられてあるものを届けてこなければならないのですが、レナ様も一緒にいかがですか?」

 買い物にでも誘うような調子のルザの手にはそれらしきものはなく、荷物は旅人が持ち歩くような物と変わりない。

 長い間あんなのと一緒にいるから、誘い文句も下手になるんだとアイルが横でぼやくと、レナはやっとルザの言っている意味がわかった。今レナの持っているものの多くを捨てて、マケドニアから出そうというのだ。その目的は、婚約破棄以外の何物でもない。

 しかし、レナには理解しかねる誘いだった。何故ルザがそれを言ってきたかというのもあるが、一番の問題は、それをやってしまったら、伯爵家の打撃は大きいなどというものでは済まなくなることだ。最悪の場合、家は潰れてしまう。父だけでなく、一族全ての命に関わる可能性だってあるのだ。

 そこまで思い至ったレナは、顔をこわばらせ、首を横に振りながら答えた。

「……行けません。わたしは、ここに残らなければ」

「そう言って、ご自分が犠牲になって丸く収まればいいと思っているのですか?」

「……」

 考えていることを言い当てられて、レナは黙るしかなかった。

「人は、できるだけ自分にも周囲にもいい顔をしておきたいものです。その方が居心地がいいですからね。
 それができない状況に追い込まれた場合、自分の道に自信がない者は周囲が一番納得する方法を選ぶんです。そうすれば自分は非難されない、多くの人のためになるのだから、と。そうすると、それまで自分がみつけていた道がとてもちっぽけなものに見えてしまって、どうでもよくなってくるんです」

 レナは、突き放して言ってくるルザの言葉に何ひとつ返せなかった。これも、レナの中で起こっている紛れもない事実だからだ。

 僧として自らの耳目が受け止める限りの人々の助けになることが、かつてレナが思い浮かべていた彼女の未来像だった。が、今のレナにそうしようという実現への意思は消えかけている。どうせ誰も真剣に聞いてくれない、下々に降りるなど馬鹿なことを考えるのはおやめなさいと言ってくるに違いないから。そう思ううちに、王妃になれば自分の足で歩き回るよりも、もっと多くの人を救えるかもしれないと考えるようになっていた。それならもう誰も文句を言わないし、丸く収まってくれる。

 ルザと対峙するレナの頬に涙が伝った。

「もう、いいんです。わたしは、わたしにできる事をするしかないんですから」

「……そうしたくないと、顔が言っていますよ、レナ様」

 ルザは一変して優しく言うと、ハンカチを出してレナの頬に当てた。

「無理をすることはありません。道はすでにあるのですから、それを見据えていけばいいのですよ」

「でも、わたしがいなくなったら、父様達は……」

「大丈夫ですよ。伯爵様とて、何もあてのない状況でわたし達に命じてこられたわけではありません」

 ルザは一旦ここで言葉を切って、ハンカチをレナに渡した。少しして彼女が落ち着くと、ルザはちらとアイルを見やった。

 見られたアイルはむすっとした顔を見せたが、口は出してこない。

 ルザは軽く肩をそびやかして、レナに微笑んでみせた。

「今回のお話は、元々は陛下の惚れた腫れたといったことなのです。……あくまでも聞いた話ですが、陛下はあまり色恋沙汰に頓着しない方なのだそうです。今回はごくまれな事例だったと言えるでしょう。今はこういう時期ですから、いつまでもそちらに関心が向くとは考えづらいのです。伯爵様はその機会をうまく読んで、かわしていくとの事でした」

「かわす……のですか?」

 そんなことをやっていいのかという色が込められている言葉である。これには、それで通用するのかという疑問も含まれていた。

「少し前の話ですが、伯爵様は陛下からのお話があるのではないかと噂が立った時でも、一切動じなかったそうです。本音を見せなかったのではなく、あるならあるで受けるか考え、ないならないで何も変わることもあるまいと淡白な反応だったと伺いました。この事は、伯爵様についている方から聞いた話だったのですがね。伯爵様も、喉から手が出るほど欲しかったものでもない事が駄目になったくらいで身を滅ぼされてはたまったものではないと思ったのでしょう。父親の沽券にかけて、娘の望みを叶えつつ家を守りきるつもりなのですよ」

 ルザのこの言葉に、レナは目を丸くしていた。

 彼女の目は、父はそういう人だったろうかと語っている。肉親の情などといったものが想像できなかったからだ。

 そこへ、今まで邪魔をしてこなかったアイルがレナに修道女の服と二本の杖を差し出してきた。一本は加癒リライブの杖、もう一本は転移ワープの杖である。

 アイルの面持ちはやや固い。

「これは、我々ができる最後のことです。私の気が変わらないうちに受け取ってください」

「……アイル様」

 レナが顔を少し歪めて、アイルを見上げた。

 アイルは以前、マチスと口論になって喧嘩別れしてしまっている。それは、王家への信奉が問題だったのだ。国王相手の婚約を破棄するとなれば、黙っているはずがない。

 が、アイルは肩をすくめるだけだった。

「言ったでしょう? ……僕は伯父上の人使いの荒さに付き合わされているだけです。これ以上のことはありませんよ」

 半ば押しつけるように一式を渡すと、背を向けて馬車へ向かっていった。

 レナはその背に向かって頭を下げる。自らの理を大きく曲げてまでここまでしてくれた礼をするには、これしか思いつかなかったのだ。

 やがてレナが頭を上げると、ルザが声をかけてきた。

「間違いはなかったようですね」

「間違い?」

 おうむ返しに訊かれたルザは苦笑する。

「レナ様が結婚に乗り気でないと思ったのは勘だったのですよ。報告するかどうかも迷ったくらいでしたから」

 あ、とレナは短く叫んだ。この事は誰にも明確に言っていないはずである。

 そう言うと、ルザは苦笑の度合いを強めた。

「でも、言った人はいたでしょう? そういう所には鈍い人でしたけど」

 思い当たる人は一人しかいなかった。

「……まさか、兄様ですか?」

「えぇ。『怒らせたのを見て礼を言うなんて、変な事を言うもんだ』と、しきりに首を傾げていました。
 それと、その呼び方は止めた方がいいですよ。根拠もないのに、無意味に敬われるのを嫌いますから……と言っても、もう会うこともないでしょうけど」

 言われて、レナはマチスに別れさえも告げられないことに気づいた。

「あの、ルザさん、伝えてほしいことが」

「次に会った時にでも言っておきますよ。大体見当はついています。今は担当官を外れていますが、近いうちに戻されるでしょう」

 ずっとあの困った人を世話するんですよ、とルザは笑っていた。

 ――それが、マケドニアを離れる時の出来事だった。

 船に乗ったレナはワーレンに渡り、ガルダ方面には法力の杖を使う僧どころか薬師もいないという話を聞きつけてそちらへ向かった。

 ガルダに着くと聞いた通りに病を治す者がおらず、レナは村を回って施術をしていたのだが、〈悪魔の山〉デビルマウンテン(サムスーフ山のことである)の近くに難病にかかっている人がいると知った。村の人々が止めるのを振り切ってそこへ向かったところ、山を根城とする盗賊・サムシアンに捕まってしまったのだ。

 しかし、逃がそうとしてくれた盗賊(本人は『元』をつけるよと言っているが、まだそれは定着されていない)ジュリアンとガルダ地方の村からレナのことを聞いていたというアリティア軍に助けられ、礼の意味でジュリアンと共にしばらくの間アリティア軍に随行することになった。

 サムスーフ山を下りた五月一七日。オレルアンを占領しているマケドニア軍との戦いに備えて湖近くに陣を張ろうとした時、アリティア軍は隠れていた山賊に襲われた。だが、短時間で撃破し、予定通りの湖畔に陣を張った。

 この戦いでの死者はなく、怪我人は二十七名。ただ、レナや老僧侶リフの法力の杖の世話になるような者はいなかった。

 翌日早朝、風よけの布を三方に張った怪我人の陣に、アリティア騎士カインが駆け込んで一同に向かって声を張り上げた。

「動ける者は出てくれ! 先発にマルス様が入っている!」

 この台詞に、横になっていた兵士までが身を起こして反応した。

 損害の少なかった傭兵オグマ率いるタリスの義勇隊が先発に出ているのは知らされていたが(オグマの統率力は、並外れたものであったため、出ていくことが許可されたのだ)、アリティアの総大将――ここにいるほとんどの者にとっての主君がそこにいるなどとは夢にも思っていなかったのである。

 驚いたのはレナも例外ではない。が、その暇もなくカインに問いかけられた。

「レナさん、無理を承知で言いますが、一人で馬に乗れますか?」

「……いいえ」

 まっとうな貴族の令嬢なら横乗りくらいはできたかもしれないが、ここではそれが幸いだった。レナは、アリティア軍の人々はおろか、恩人であるジュリアンにも出自を話していない。知られたくないというのが本当のところだった。

 そんなことを知らないカインは、申し訳なさそうに頭を下げる。

「そうですよね、すみません……そうだ! 従騎の一人に女性がいますから、彼女に掴まって来てくれませんか。もし、マルス様が怪我をされた時のために」

 レナは頷いた。至極もっともな事だと感じたからだ。

 カインは一旦姿を消し、すぐに軽鎧をつけた女性……というよりは、少女を連れてきた。しかもレナより少し年下である。それでも、同じ年頃の少年よりは体が大きいと見えた。レナが掴まっても、どうにか持ちこたえられそうな体格である。

 少女はセシルと名乗った。陽の光の加減のせいか、明るい紫という変わった色の髪をしている。

 カインはセシルに頼むぞと声をかけて再びレナに頭を下げると、その場を足早に去っていった。主君を置いたままなのだから、一刻も早く前線に駆けつけなくてはならないのだろう。だが、そんな中で万一のためのフォローをしようとするのだから、快活な言動の割に冷静さは失わない性格なのかもしれない。レナはカインの事をそう考えた。

 怪我の手当てをされていた兵士が全員立ち上がって陣を出ようとするのに混じって、レナはセシルと共に馬の元へ向かった。





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