トップ>同人活動記録>ELFARIA非公式ノベライズ[1] INDEX>1章 水の国カナーナ 2-4
ELFARIA [1] 2-4 * スンガ大学の地下の奥、更に隠し通路を経た洞穴のようなその空間。そこに、歴戦の凄まじさを物語るように、傷つき、へこんだ赤い甲冑と、使い込まれた槍が置かれている。甲冑が赤いのは血潮ではなく、元々そう塗られた色だった。 昼の戦場で非常に目立つこの色の甲冑を纏ったのは、腕に自信があったからなのか、フォレスチナ人でないことに引け目を感じて危険な役割を引き受けたからなのか。未だその真相は誰にも語られたことがない。 この甲冑の主は、すぐ近くの臥所から静かに岩の天井を見据えていた。魔物との戦いでひどく傷ついた体は、元巫女のファーミアが献身的な治療をしてきただけあって、だいぶ癒えてきている。 だが、彼はまだ起き上がれない。 フォレスチナで敗れ、カナーナで逃げ続けているうちに、心の方はひどく疲弊してしまったようだった。 「どうじゃ、具合は」 臥所の傍らに座った老賢者アーバルスの問いかけに、アルディスは弱く首を振った。歩くことはできるだろう。死ぬ気になれば戦うこともできなくはないはずだ――体だけなら。 しかし、それではどうにもならない。 「そうか……だが、もうファーミアには無理をさせられんぞ」 「……」 「儂らは生きておるだけまだ良かろう。それを忘れぬようにな。 そう言って、見張りに出るためにアーバルスは離れていった。隠し通路の幻術を見破られたらそこまでだが、何もしないのも落ち着かないのだろう。 アーバルスと入れ替わって背の低い少女がやってきて、アルディスの側に座った。 「ジェニスさん、まだ戻ってきませんね……」 「仕方ない。地下の入り口も見つかったからな……。老師が向こうに立っている間に、君は休んでいたらどうだ?」 「いえ、続けさせてもらいます」 ファーミアは木の杖を握って目を閉じ、声を発せずに詠唱を始めた。 やがて、治癒魔法がじっくりとアルディスの体を巡り、ほんの少しだけアルディスの怪我の程度を和らげる。しかし、効力はそれだけだった。最初に唱えた時に骨の折れていた右腕を一発で治した時のような力は、もう感じられない。 皆、力が尽きかけている。ファーミアもアーバルスも口には出さないが相当弱っているのだ。 弱々しい光が収まり、少女が深く息をつくのに、アルディスは小さく礼を言った。 「もう、いい。ありがとう」 「いえ……」 ファーミアは伏目がちに答えるとアルディスの側を離れ、近くの岩壁に寄り掛かって仮眠を始めた。今までは遠慮する節があったが、そうも言っていられなくなったのだろう。 アルディスも仰向きながら、瞑目するように目を閉じる。 眠ろうというのではない、どうせ眠れはしない。ふとすると蘇る陥落の風景に、思考を引っ張られるからだ。 フォレスチナの王都が陥ちた後、文字通り最後の砦となったラダで、アルディスは逃れてきた王を守りきるため、盾となるつもりだった。ラダでの敗戦が濃厚となった時も、せめて王を逃がすための囮となるくらいの気持ちでいたのだ。 しかし実際には、攪乱のために王とは別の道筋でラダから逃れ、カナーナまで救援を求めよという命が下された。 ラダで本格的な戦となった時点で、カナーナへの使者はすでに出ていた。ならば、騎士が更なる使者になる必要はないはずだと食い下がったが、結局はそれを呑んでカナーナへと向かった。だが、フォレスチナ全土が占領され、王の行方もわからなくなった今となっては、それは間違いだったのだと胸を潰される思いに駆られる。 尚腹立たしいのは、帝国の猛攻に抗いきれず、カナーナで立て直すどころか自分達が逃げるので手一杯になっているこの現状だった。しかも、圧倒的な力の差を見せつけられ、魔物に勝てる気が全くしない。勝算がないだけならまだしも、もはやアルディスの内では戦意そのものが失せていた。 故郷のエルファリアを取り戻すどころか、育ててもらったフォレスチナさえ守りきれないで何が騎士だというのだろう。力なき者が騎士を称するなど、これほど滑稽なことはない。 暗闇の中の思考がどれくらい続いたのか定かではないが、傍らの衣擦れの音に気づいてアルディスは目を開いた。 ファーミアが厳しい表情で彼を見下ろしている。治せていない怪我を診ているようだった。 次いで、老賢者の長い影が落ちる。 「ファーミア、どうじゃアルディスの怪我の具合は?」 「よくはなってきてますけど、わたしにはもう……」 問われた少女が重く首を振っている。 そう答えるのも無理はない。ここには薬らしきものもないし、ファーミア自身の休養がままならない。だからジェニスは薬を取りに、外に飛び出してしまったのだ。その彼女とて、今では無事かどうかもわからない。 「老師、外はどうですか」 アルディスの問いかけにアーバルスは答えず、外に向かって頷いた。 すると、見慣れぬ人間が数人入ってきた。少女や老人もいる。 まさかと思いつつも、アルディスは問いかける。 「あなた方は……外から来たのか?」 「はい、スンガは僕らが解放しました。もう町に魔物はいません」 彼らの先頭にいた金髪の少年が答える。胸鎧はあまり上等なものではなく、市井の者だと察せられる。そんな少年から言われてもにわかには信じ難いが、現に外から人間が現れたのだから嘘ではないのだろう。 「そうか。カナーナの有志が立ち上がったんだな」 「はい。……あの、具合が悪いんですか?」 臥所にいるのを見て、少年はそう言ったのだろう。 自分が無様な姿を晒しているのを思い出して、アルディスは少年から顔を背けた。 「俺の事は放っておいてくれ。どうせ使い物にならん」 「そんな事ないですよ。しっかりして下さい!」 「そう言わないでくれ。俺は騎士であるにも関わらず、大切なものを守りきれなかった。その程度の人間だったんだ」 「アルディス、何を言っておるのじゃ。お主はフォレスチナ勇士きっての実力があるじゃろう!」 アーバルスの励ましにも、アルディスは頑なな首を振った。 「そんなものは俺の思い上がりだっただけです。そう評される資格はありません」 「何を言っているのよ、アルディス!」 張りのある声音で叱咤する言葉が聞こえてきたかと思うと、猛烈な勢いでジェニスが洞穴の中に入ってきた。 周囲の驚きの目を一切気にせずアルディスの横に座る(ファーミアはジェニスの勢いを察知した瞬間に、すぐさまそこから離れた)。 「しっかりして! そんなのあなたらしくないわ! ほら、町の人からハーブを貰ってきたの。これを飲んで」 そう言って、懐に抱えてきたビンを差し出したジェニスの姿はひどくボロボロだった。雨に濡れそぼり、怪我の応急処置で巻いた布がひどく痛々しい。微笑みかけているのに、ここにいる誰よりもやつれているように見えた。 「……俺には、君の方がひどい怪我のように見えるが」 「いいのよ、アルディスが倒れた時に比べたらこんなの大したことないわ」 ファーミアや他の面々を窺うまでもなく、それが虚勢なのは明らかである。しかし、アルディスがこの瓶の中身を飲むまでは、ずっと言い張っていそうな雰囲気だった。 「……全く」 その呟きはアルディス自身に向けられていた。 俺は何をしていたのだろう。 ここまで心配をかけて、こんな目に遭わせて、挙句、殻に閉じこもっていたわけか。 「……救いようがないな」 「アルディス?」 「何でもない。……俺のせいで無理させたな」 「アルディスが元気になってくれればいいのよ。さ、飲んで」 言われるままにアルディスは瓶を受け取った。 もうハーブの瓶がなくても立てる気はしたが、敢えて瓶の口を開けて中身を飲み干す。 決して飲み口の良いものではない。だが、アルディスの体には充実感を伴って力がみなぎってくる。おそらく、今までのファーミアの施術で大体の怪我は癒えていたのだろう。 両手を見つめ、力を込めて握ると、そこには健全な筋肉の動きが認められた。自分の復調を確かめるように、何度も頷く。 「その様子だと、もう大丈夫なようじゃな」 「ええ。申し訳ありませんでした、老師」 「それは良い。で、言い遅れたが、こちらの方がパイン殿じゃ! あのエルルという少女が言っていた……」 そう言ってアーバルスが指し示したのは、金髪の少年である。 アルディス達の前にエルルが現れたのは、カナーナに逃れた時だった。あなた達の道はパインという少年に会えば開かれる――そう告げて、彼女は姿を消した。パインが何者かさえも教えず、また彼女自身の素性も明らかにせずに。 「君が、パインなのか……?」 「エルルに会ったんですか?」 不安げに問いかけたパインに、アルディスは低く唸った。 「彼女の話では、君に会えば俺達の道は開かれるということだ。魔物を追い払うだけの力があるのだから、確かにそうだろうな」 「アルディス、もう一度立ち上がりましょう! カナーナを解放して、フォレスチナの陛下の元に駆けつけるのよ!」 ジェニスの言葉に顔を上げると、続いてパインが呼びかけてきた。 「僕からもお願いします。エルルが僕のことをどう言ったかは知りません。でも、カナーナとフォレスチナを取り戻して、帝国を倒すために僕らと共に戦ってくれませんか?」 もう言われなくても、アルディスはそのつもりでいた。体は本復している。心も――もう大丈夫だろう。 ここでくすぶっていてもどうにもならない。騎士としての役割を終えるには、ここはまだ遠すぎるのだ。 「……そうだな。よし、もう一度やってみよう」 わざわざ勿体をつける自分に心の内で苦笑しながら、アルディスは臥所から立ち上がった。 「パイン君、よろしく頼む!」 「はい!」 「ジェニス、老師、ファーミア、今まですまなかった。みんな、行くぞ!」 ジェニスを始めとする三人の目に信頼の輝きを見て、アルディスは己の心に約した。 フォレスチナを取り戻し、帝国を滅することを。 |