マチスの率いる隊がグルニアを発つ日は、九月の下旬と定まった。

　その頃になれば、アカネイア大陸最南のマケドニアといえど、夏の暑さはかなり収まっているはずと見込んでの事である。

　解放軍がグルニアを制圧した時には本格的な夏に入っていた事もあり、休養などを兼ねて二月近くの間、帝国側との戦いは起こらなかった。

　その代わりに様々な工作を試み、それなりの成果も得て解放軍のマケドニア勢は千五百を越している。以前より五百人程度増えたのだが、これといった有力諸侯がいるわけでもなく、更に言えば今になって僭王ミシェイルを見限ってわざわざ海を越えてきた彼らの全てを信頼できるかというと疑わしい者の存在をどうしても意識してしまう。これまで以上にやりづらくなっていたのも確かだった。

　そんな中、マチス隊は縮小再編成を命じられた。騎馬騎士、ホースメン、歩兵、重装歩兵が混在する構成から、騎馬騎士とホースメンに限らせたのである。外れた者達は新たに部隊の長となった。

　マケドニア各地方の地理案内に立てそうな者は本隊の意向で抜けてしまった事もあって、マチスの手勢は二百ほど。おおよそがアリティアに寝返って、オレルアンの王都へ向かった時の顔触れになったとは言え、あんまりな仕打ちだと憤ってもおかしくない。

　実際、ホースメン部隊長などは本営に直訴すると言い出したが、通例と言うべきか、当のマチスが平然としている。

「まぁ扱いにくいのは確かだったし、仕方ないんじゃねぇの？」

　と言えば、副官ボルポートが更に追い討ちをかける。

「長殿の場合は、混成千三百でも騎馬二百でも同じだから、動きを読みやすい方を選んだのだろう。賢明な判断だと思うが」

　科白の半ばで若干奇妙な言い回しがあった事に首を傾げる者もいたが、大筋の意味は通っているので結局は頷いていた。

「ただ、あいつらは嬉しそうにしてたよな。当然っちゃあ当然だろうが」

　騎馬騎士隊副長のシューグが指したのは、今回の件で晴れて「独立」した歩兵隊及び重装歩兵隊の長だった。王女ミネルバが反ドルーアの立場を表明して当時の同盟軍に加わった時、ようやく正当な理由を得られたと特に喜び、以後ミネルバに対して、統率するマチスの数段も上を行く――これには、マチスが抱く血統への不信も幾分か影響しているのだが――忠誠ぶりで、はっきりと親ミネルバの姿勢を見せていた。これからは隊が一丸となってミネルバのために尽くせるとあって、意気込みも並々ならぬ様子だったのである。

「おれのとこから抜けて隊を立ち上げたいっていうなら、別に止めないけど」

　マチスが騎馬騎士とホースメンの長に向けて言うと、前者はため息をつき、後者は黙って首を振った。

「二十の騎馬騎士だけで何ができるものでもなかろう。
　それに、我々が抜けたら困るのは……」

　マチスの方だろう、と続くはずだった騎馬騎士隊長の言葉はそこまで届かずに消えていった。

　眉を寄せて首を捻っていたが、諦めたように再び息をついた。

「俺には見当もつかんが、おそらく困らないのだろうな。そんな気がする」

　この一年余り数百の人間を統率してきたとはいえ、手柄を取りたがることもなく、実際に指揮も戦闘も格別なものは見せていない。これまで二度あった聖騎士披露試合の時も真っ先に辞退するという、ある意味の潔ささえ感じさせるほどマチスは騎士業に消極的である。

　まさかとは思いながらも、配下がいなくなったら肩の荷が降りたと喜ぶのではないか、とそんな予感を現役の部下ですら抱いてしまう。

「思ったんだが……ここまで頭数減らされたのは、やっぱりマズいんじゃないのか？　最初に裏切ったのは知れ渡っているし」

　と、シューグはマチスを見やった。

「ミネルバ王女には手を出しづらくても、変わり者の裏切り者なら出くわした途端何の遠慮もなく狙ってくるぞ」

「それに、まず間違いなく伯爵家が率先して兵を出してくる。魔道部隊が来なくとも、伯爵や一族の兵はやってくるだろう。バセック伯爵は厳格な人柄で知られているから、帰参は呼びかけまい」

「だから、そういうのにみんなまで付き合わなくていいんじゃないかって思ってるんだけどな」

　マチスの言葉に、一同が呆気に取られる。

　その多くが、この期に及んで何を言うのかという表情をしていた。

　最初に口火を切ったのはホースメン部隊長である。

「それじゃあ、何のためにここまで来たんですか。犬死にしてしまいますよ！」

「ひとりになったら、親父達だってわざわざ軍隊向けてむきになって来ないだろうし、おれが隊を率いる意味はほとんどなくなってるよ。マケドニアで顔が広かったらもっと違ったんだろうけど、そうでもないし」

「もしかして、身内と戦いたくないからそんな事を言うのか？」

　騎馬騎士隊長が問うのに、マチスは肩をすくめた。

「誰が相手でも戦わずに済むならそれに越したことはないけど、おれを狙ってくるっていうのに誰かを巻き込みたくないだけだよ。一騎討ちだけで片がつけば苦労ないんだけど」

　一騎討ちという常のマチスが肯定的には口にしそうにない言葉に、各部隊長は感心の色を見せたが、そこへシューグが横槍を入れる。

「一騎討ちったって、伯爵の一族は魔道の使い手だろうが」

　シューグの言い分は全くもってその通りで、アリティアで討った従兄弟の竜騎士ネクスは例外中の例外である。

「いや、魔道士なのに好き好んで剣使う奴がいるんだよ。結構自慢してたようだし」

「なら、一騎討ちは余計危険なのでは？」

　空を切り裂くように、その発言は一同の間を瞬時に駆け抜けた。

　絶妙の間だったために、次の言葉が誰からも出てこない。普段はマチスに同調する姿勢のホースメン部隊長が、こういう発言をしたのも要因として大きかった。

　かなりの間を空けて、そのホースメン部隊長が頭を下げる。

「申し訳ありません、口が過ぎました」

「何ひとつ間違ってないから謝ることたぁないと思うがね」

　シューグが言うのに、マチスが横で頷く。

「確かに、勝てる気はしないし」

「じゃあ、なんでそんな事言い出したんだ」

「そういうのに応じる奴もいるのを思い出したから、言ってみたんだけどな。そういう事も起こり得るんじゃないかって」

「……どうやったらそうなるのか、あまり考えたくないがな」

「それを言えば、ここまで来れた事が予想外そのものだろう。オレルアンで寝返った時は、どんな苦難になるかと先が思いやられたほどだというのに」

　感慨を口にしたボルポートへ、ホースメン部隊長が不思議そうに問う。

「あなたが一番長殿を見込んでいたと思いましたが……？」

「見込むというよりは、縁だろうな。一旦死んだ身だからできたというのもあるにはあったか。

　一応ここに至った時の想定もしていたが、隊の形がオレルアン草原の時とほとんど同じだとはさすがに考えなかった」

　グルニア制圧まで幾度も戦いを経験しているのだから、それなりの昇進や大損害があって良さそうだというのに、マチス隊にはそれがなかった。大幅に数を増やしたのは、実戦に出た機会で勘定すれば一度きりである。

「別の意味で器用って言うのかね、こういうのは」

「狙った覚えはないけどな」

「狙っても無理だろ、こんなのは。
　ま、これだけ少なけりゃ正面衝突前提ってのはなさそうだから、有り難いといや、有り難いか」

　マケドニアの騎馬部隊は他国で同様の形式を持つ騎士団と比べると、平地での戦闘能力の差でどうしても格が下がってしまう。切り込み役を自任するシューグでさえそうした事実を認め、意固地にならない。マチス隊の場合は更に指揮官の性格が影響して、柔軟性においては他の騎士が真似しようもない域にあると言ってもいい。

　解放軍内のマケドニア勢は全体からすればかなり小さい勢力であり、ミネルバとマリアというふたりの王女の存在と、女性が三分の二以上を占めるとは思えないほどの活躍を見せる天空騎士部隊でどうにか名を上げているに過ぎない。

　とりあえず自分達の力でどうにもならない事をどうこう言っても仕方がないと、そんなまとめでこの場は散会したのだった。