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長文雑記
エルファリアに向き合っている理由

(2013.01.03 エルファリア20周年記念企画)


 まず始めに、例年であれば小説等何らかの見せ場があるコンテンツでエルファリアの年輪が増える祝いをするのだが、今回は昨年末に「20周年4日前祭」と称して4冊の同人誌を発行したため、当の20周年にはこの文章を掲載するのみとなったことをお断りする。



 今回は個人的な事だけを記そう。
 エルファリアに関するコンテンツをやるというのは、物好きに他ならない。
 良さを広めようというつもりはなくて、単に「好きになった」だけの動機で押し進めている。

 エルファリアというゲームに向き合っている理由は、火のパーティのリーダー・アルディスに自分を重ねているからだ。と言っても、共通点など「追い込まれた時のメンタルが弱い」の一点のみ。その弱さを抱えつつも、戦いに身を投じる姿に勇気づけられて憧れたのが20年前のことで、それが基本的にずっと続いている。
 強い関心が向いたあとになって、『“火=主人公”のアンチテーゼ』をエルファリアが掲げた故に火のパーティでの攻略が高難易度設定されているのがわかったり、属性があんなに土地にこだわっているのに火だけがどうしてもこれという答えが出なくて、それがまた熱意を長引かせた。

 アルディスとセットで語るというと大方はジェニスなのだが、個人的には無言の献身を表しているファーミアに目を向けている。
 土の国の王に仕えながら仇を討つには最も適さない火を負ったアルディス、水の聖地にいた身でありながら火のアルディスに随身することになったファーミア。『儘(まま)ならぬ』命運を持ち、それでも命懸けの戦いに赴く。加えて、ファーミアにはアルディスと常に最大HPが同じというアピールがある。おそらくはゲームバランスのためだろうとうっすらとわかってはいるが、この「シナリオとしては直接出てこない」ポイントが実にそそるのだ。
 まぁこんな見方をする人間は数少ないエルファリアのファンの中でも、極少数派というのはわかっちゃいるのだが。

 こうして動機の足場を踏み固めていって、ようやく作品全体へ関心が向かうわけだが、周知の通りシナリオだけをたどると、戦うこととはこういうことなのだと言わんとばかりにプレイヤーの側にも厳しい現実を突きつけてくる。色々と乗り越えてゲームを進めていくのに、これはあんまりじゃないかとハッピーエンドを望むプレイヤーにはどうしても受けが悪くなる。要は5章ムーラインをもう一度見るのがキツくなるし、そもそも1章のパインとエルルの出会いの時点で胸が痛いという向きも出てくるから、2周目をやろうという気が削がれてしまう。そのフォローとして、スタッフロールで「これはお芝居なんですよ」と言っているわけだけど、シナリオ考察の側としては若干痛し痒しのフォローでもあり。
 そこに追い討ちをかけるように、IIでは I の痕跡がこれでもかと薄くされてしまっている(IIを購入した I のファンはそこも目当てだったろうに)。そして、最終的には曲がりくねって乱れに乱れてしまった世界は再生の道をたどることになる。

 だが、生きている世界が乱れていようとも、そこで必死に戦って「生きよう」とすることにどうしても気持ちは行ってしまい、寄り添いたいたくなる。本編はゾーラの物語だけど、プレイヤーは16人の側なのだ。
 というスタンスの元に考察と想定を重ねていくうちに、ぼんやりと二次創作世界というのが見えてきた。

 エルファリアの世界というのは本編で雄弁に語られないだけに、調べに調べて事象を結びつけようとすると、物凄く面白い。IIで出てきた設定も加味して考えるとその深みが増してしまうのがタチが悪いと思いつつ、この遊びは実に脳を刺激してくれるのである。

 つい最近まで、時間移動による歴史の改変は実際には不可能で、エルファリアの場合もまた円環ではなく螺旋なのであって1〜3章と4〜5章は別の世界、と断じていた。
 だが、シナリオを読み込んでみるとどうもリシアの魔法の影響で1〜3章の世界の要素が4章以降の世界に混ざってるんじゃないか、と思い始めている。当時から気づいていた人にとっちゃ今更かよ、という話なのだが、受け止める側が「時間移動の歴史改変は不可能」って思っていたんだから仕方がない。
 これで通すとなると魔法万能説となってかなり頭が痛かったりする……のだが、元から抱えている今ひとつの疑問――これはこれから記すのだが、この答えはまだ出ていない。
 時を遡って歴史を変えた結果、次の支配者によってそこの世界の自分達は元の時代に戻るよりもかなり前の時点で殺されてしまった。にもかかわらず、自分達は生きている。
 どんなに想像しようにも寄り添いきれないのがこのポイントで、ここは相当の葛藤があったんだろうかあるいは割り切るしかなかったのかと考え抜いたところで、真相にはたどり着けない。倫理観とか命の重さとかの基準が違っているだろうから、そこに落としどころを見い出すしかないのだが、どうあっても重いため息を出す案件なのだ。一時はエルファリア世界から卒業したくないがためにこの問題をほったらかしてきたが、卒業もへったくれもなく、こんな、どうやっても体験しようがないものを考えるというのが無茶の極みなのであって、むしろずっと残り続ける疑問となるのだろう。

 まぁ、それでも「好きになったから」と「果てぬ難題」があるから長居しまくってるんだけどね。




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